信州松本ぺんぎん堂

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松本の”あめ市”の飴

こんばんは、茶々丸です。

先日、Twitterでつながっている信州在住のSさまよりたくさんの飴を送っていただきました〜!(≧∀≦)

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Sさまありがとうございます(≧∀≦)

これ、全部信州の飴です。

なぜ飴を送ってくださったかというと、毎年1月は松本であめ市という新春の伝統行事が行われるからなのです。

あめ市は正月明けの土日に2日間で十数万人もの市民が繰り出すという松本市の一大イベントです。寒い時期に行われるというのにこの人出(笑)。しかし、残念ながら今年のあめ市は新型コロナのせいで中止になってしまいました。例年、あめ市には屋台が出て飴を販売しているのですが今年はそれもないので、Sさまは松本市内のスーパーをめぐって探してくれたそうです。本当にありがたいです。

今回はあめ市とSさまの送ってくださった飴について書きたいと思います。

 

 

あめ市とは

実はあめ市はとても歴史のある行事です。

いまからおよそ440年ほど前に開かれていた「塩市」が起源といわれています。そういえば子どもの頃あめ市のことをお年寄りが「塩市」と言っていたのを記憶しています。

海のない信州松本でどうして塩市かといいますと、その淵源は戦国時代にさかのぼります。

甲斐の武田晴信(信玄)と越後の長尾景虎上杉謙信)が信濃の覇権を争っていたときに、武田と争っていた駿河今川氏真(うじざね)が武田氏が支配する土地への塩の供給を断つという戦略をとりました。

「義」の人である景虎(謙信)はこれに義憤を感じ、越後から信濃へ塩を送り、その塩が松本に着いた日を記念して「塩市」が始まったと言い伝えられています。敵に塩を送るという故事成語の元になったお話ですね。このとき塩を運んできた牛を繫いだ石が牛つなぎ石であるといわれ、現在でも本町と伊勢町の交差点に残されています。

昔は1月11日があめ市の日だったといいますから、塩が松本に着いた日は1月11日だったのでしょうか。

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牛つなぎ石

当時、何軒もの飴屋さんが塩俵にちなんだ飴を作って大勢の飴売りが飴を売り歩いたため塩市はあめ市と呼ばれるようになり、年々盛大になっていったそうで、深志神社の天神祭りと並んで江戸時代の松本城下の最大の行事だったといいます。塩は命の源です。塩を送られた感謝と喜びが祭という形になって始まったものが現在まで引き継がれてるのかと思うと感慨深いものがあります。

いまのあめ市は飴とだるまがの屋台が出たり、歩行者天国で武田軍と上杉軍に別れて綱引きを行ったり、御神輿が練り歩いたりします。来年はあめ市が行われる平穏な年であることを願います。

 

松本の飴屋さん

松本は乾燥した気候が飴作りに適していることから、たくさんの飴屋さんがあったようです。

明治時代には20軒以上もの飴屋さんがあり、飴の生産量日本一を誇った時期もあったそうです。いまも江戸時代から続く老舗の飴屋さんが残っています。数年前にあめ市に行ったときに屋台で飴を売っていた飴屋さんが「乾燥して寒い気候じゃないと昔ながらの飴は作れないんですよ。一番いい飴が作れるのは冬なんです」と仰っていました。

現在も松本に残る老舗飴店は下記の3軒です。

  • 新橋屋飴店 創業から150年以上(嘉永年間)
  • 飯田屋飴店 飴作りは寛政8年(1796年)から
  • 山屋御飴所 寛文12年(1672年)創業

山屋さんはおよそ350年もの歴史があります。日本橋松坂屋さんが開店したのと同じ年です。第4代将軍・徳川家綱の時代です。あと8年ほどで綱吉が将軍になります。

新橋屋さんの創業者と飯田屋さんの創業者は武士だったとのこと。

私が興味深いと思ったのが飯田屋さんの歴史です。飯田屋さんのサイトによると松本藩第6代藩主・水野忠恒が結婚を報告するため江戸城に時の征夷大将軍徳川吉宗を訪ねた折、松の廊下ですれ違った毛利師就に対して刃傷沙汰を起こしてしまいました。武士として忠恒に仕えていた初代店主・伊藤伊佐治も一般庶民に格下げされてしまい、米を扱う仕事を始めたとのこと。当時米は飴の原料だったためその後、試行錯誤の末飴屋を開業したのだとか。松本の老舗の歴史は松本城の殿様と共にあったんですね。

それぞれの飴屋さんの飴はそれぞれのサイトから購入できます。

www.shinbashiame.com

www.iidaya.com

www.yamaya-candy.com

 

飴のお味は?

それではいよいよSさまから送られてきた飴の紹介です。

まずはこちら!

福あめ(新ばし飴)

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「福あめ」新ばし飴

私が冷蔵庫へ入れるのを失念したため飴が溶けて一体化してしまっています。せっかくSさまはクール便で送ってくださったというのに、ごめんなさい。元々は金太郎飴と棒状の飴のミックスです。冷蔵庫に入れなかったといっても、ちゃんと暖房を入れない寒い場所に置いてあったんですよ!そのくらい松本の飴はデリケートなのです。そりゃ、寒くて乾燥していないと飴は作れないというわけだ。松本の飴には東京の冬は暖かすぎました。

原材料:もち米(長野県産)、大麦、水飴、着色料(くちなし、紅麹、イカスミ)

昔ながらの材料で作られています。全て自然の材料なのでお子様でも原料にこだわる自然派でも安心して食べられます。

いまスーパーやコンビニで売っている飴にはあまりみかけませんが、お米の飴ってとーってもおいしいんですよ!

これは噛むと歯にニチニチとついてくるタイプの飴です。今回ご紹介する飴の中で唯一、最初から最後まで舐めて食べるタイプかもしれません。

袋に「新ばし飴」と書いてあるので同じ表記にしましたが、新橋屋飴店さんの商品です。

 

あめせんべい(飯田屋)

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あめせんべい(飯田屋製菓)

これは私の大好物です!

原材料:砂糖、水飴、小麦粉

こちらも自然の原料だけです。

舐めるというより噛んで食べる感じの飴です。サクサクしゃりしゃりしていて食感がとても楽しいです。しゃりしゃりを感じながら食べていると一袋なんてあっという間に食べてしまうので、こちらの飴の封を切ったら理性を働かせる必要があります。

 

まめ板(新ばし飴)

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まめ板(新ばし飴)

これもかなりおいしい飴です。やはり舐めるというより噛んで食べるタイプの飴です。

原材料:もち米(長野県産)、大麦、水飴、ピーナッツ、砂糖

福あめと似たような原料なのにこちらは透明度があります。

パリッとした飴の歯ごたえとピーナッツの歯ごたえがとても相性がいいし、芳ばしくてやはり「やめられないとまらない」タイプの飴です。うちでは親戚が集まったときに菓子鉢に入れて出したら、私が食べる前にあっという間に全部平らげられてしまったことがあります。

松本の駅ビルやおみやげ屋さんに並んでいる率が高いですので松本みやげにぜひオススメしたいです。多分よろこばれます。都民のみなさんは銀座NAGANOで売っていることもあります。

 

板飴(稲垣製菓)

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板飴(稲垣製菓)

あれ?これまで出てこなかった飴屋さんだぞ!?と思ったあなた。そうなんです。なぜかこれは駒ヶ根市のお店の飴なのです。あめ市の飴として売っていたのかもしれません。いいんです。駒ヶ根だって信州です。松本の仲間です。

こちらの飴はやたらごっつく見えますよね?板の厚さも1㎝弱くらいあります。しかししかし、この飴はお口に入れるとホロホロっと崩れていきます。ホロホロサクサクでとても面白い食感です。やはり舐めるタイプではありません。黒糖の味がして私は好きです。昔ながらの素朴なお味に癒されます。この飴も食感が楽しいので油断していると延々と食べ続けてしまう危険性をはらんでいます(笑)。

原材料:上白糖、黒砂糖、水飴

原材料は砂糖三兄弟のみです。それなのにこれほどの色と形、そして味が出るのだから不思議です。砂糖をスプーンで食べる気にはなりませんが、飴に姿を変えるとどうしてこんなにおいしく無限に食べられるのでしょう。やはり職人さんはすごいです。

 

最後に

まさかコロナで緊急事態宣言がでているこのときにあめ市の飴を食べることができるとは思わず、感動です。Sさまに重ねて御礼申し上げます。

あめ市の飴はあめせんべいとまめ板をのいてスーパーではあめ市のときにしか売っていなかったりします。飴屋さんを訪ねると購入できると思うのですが、なんだか松本市民にとっては風物詩のようになっているのですよね、あめ市のときに購入することが。

職人さんが精魂込めて作った昔ながらのあめをみなさんにも一度味わってほしいなと思う茶々丸でした。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました!

大寒が過ぎてこれからますます寒くなりますが、みなさま、お体にお気をつけくださいね。