長野県にも海があったのだ!
皆さまごきげんよう。
信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。
唐突に話題を切り出しましょう。
太古の昔、信州に海があったことご存知でした?
皆さまもなんとなく学校の授業で習ったことのある、フォッサマグナ。
実は、それが信州の海と大きく関係があるのですよ。
日本は、その昔、大陸と繋がっておりまして。
大きな地殻変動と共に大陸から離れ、現在の姿になったともいわれています。
北アルプスなどは、1万メートル級の山として隆起し、やがて崩れて松本盆地が出来上がったとも言われています。
今は、3000メートルに近い山々の連なりですので、一万メートル級に聳え立つ山脈を見てみたかった気もします。
その、海の名残を残しているのが、中央構造線が走る場所なのです。
私、行って参りました。大鹿村。
大鹿村中央構造線博物館は、長野県と静岡県の県境、南アルプスの主峰赤石岳の山麓にあります。関東から九州へ日本列島を縦断する大断層「中央構造線」のほぼ真上に建っています。中央構造線と大鹿村の岩石標本の展示を中心にした、村営の博物館です。
南北に長い長野県ですから、安曇野市から距離にして101㎞、時間にして3時間30分と言うところでしょうか。
若干険しい国道152号線を走りながら、到着したのが中央構造線博物館です。
展示されているのは、大鹿村で採掘された岩石などですが、これが専門的過ぎてなかなか分からない。
中央構造線の北側(日本海側)を内帯、南側(太平洋側)を外帯と呼びます。
この内帯と外帯は、形成年代やメカニズムが全く異なると言うことです。
折角なので、中央構造線の内帯と外帯を股にかけ立ってみました。
内帯側は白亜紀中期(約1億~7000万年前)に、形成された領家編成帯。
外帯側は白亜紀後期(約9000万年~6000万年前)に形成された三波川編成帯と呼ばれています。
この日本列島を真っ二つに分断する「地質学的な溝」フォッサマグナはドイツ人地質学者エドムンド・ナウマンによって初めて論文で発表されました。
フォッサマグナの西縁は糸魚川ー静岡構造線、諸説ありますが東縁は新発田ー小出構造線と考えられています。
この中央構造線を成す深い溝が、大昔は海だったとされています。
ホタテガイの仲間などの貝類の化石やダイカイギュウと呼ばれるジュゴンに似ているけれども、冷たい海で暮らす哺乳類の化石などが見つかっています。
最も深い海であった、松本市からは海洋生物のマッコウクジラなどの化石が豊富に発見されます。
不思議ですよね。
今ではすっかり県域の八割が山となっている長野県から海洋生物の化石が発見されるのです。
やがて、フォッサマグナの海は長い年月をかけて、土砂や海底火山の噴火物が堆積し地層を作っていきました。
まさに、地球は生きているって感じですね。
別に地学が好きだった訳ではないので詳しい事情は理解出来なかったのですが、確かに、領家編成帯から産出される岩石と三波川編成帯から産出される岩石は違うのです。
いやあ、100㎞走って行った甲斐があったというものです。
日本の不思議を一つ知ることが出来たのですから。
因みに、領家編成帯と三波川編成帯が地上部分に露出して隣り合って見える場所がいくつかあります。
私は、そのうちの一つ「北側露頭」まで行ってきました。
地層の色が全く違っていますよね。
これが、日本列島の境目かと思うと、感無量です。
因みに、この北側露頭にたどり着くまでは、少々険しい峠道を走ることになるのですが…。
この中央構造線上に”ゼロ地場”で有名なパワースポット「分杭峠」があります。
巨大断層である中央構造線上に位置するこの峠は
大自然の中でゆったりと過ごすことが「癒し」につながる場所。
森林浴を楽しんだり、遊歩道を散策したり。
緑に囲まれた中で心を開放する ゆるりとした時間を過ごしてください。
ただ、2021年度は道路補修工事の為に分杭峠に入ることが出来ません。
自家用車ではもちろんシャトルバスで向かうのですが、シャトルバスも運行停止。
今は歩いても侵入できません。
来シーズンを待つことにして、また、大鹿村に行きたいと思っています。
長野県のことを知れば知るほど好きになる兎丸ですが、長野県大好きなご店主茶々丸さんのおかげだと思っています。
信州の不思議を探検するのは本当に面白いです。
今度は、信州の春を探しに出かけてみようかなと思っています。
今回は、長野のトリセツと言う本を参考に、中央構造線を探索してみました。