新章 神様のカルテの感想など。
皆さまごきげんよう。
信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。
過日のブログで、ご店主茶々丸さんがドラマSP「神様のカルテ」のことを話題にされていましたね。
福士蒼汰さんが栗原一止先生で清野菜名さんが細君のハルさん役でした。
残念ながら兎丸地方は、テレ東のドラマは見られなかったのですが、BSテレ東で放送されるそうなので、楽しみに録画しています。
舞台になっている本庄病院は、松本市民にとっては馴染みの深い総合病院である「相沢病院」ですね。
かの、スピードスケート金メダリスト小平菜緒さんが所属する病院です。
私が子供の頃は、本当に松本駅にほど近い場所に建つ小さな小さな個人病院でした。
それが今や、24時間365日救急患者受付をする救急センターを擁し、陽子線治療装置も導入するほどの病院になっているのですよね。
病床数360床。
それなりの規模になっています。
テレ東でのドラマは、本庄病院を舞台に「引きの栗原」が奮闘する物語が描かれています。
何年か前に、嵐の櫻井翔くんと宮崎あおいさんで映画化されてましたね。
安曇野市でも映画ロケがありました。
ま、映画の方は観ていないのですが、原作本は読みました。
私自身、持病があって入退院を繰り返している上、身近な「相沢病院」が舞台だということで、興味深く読みました。
その続編<新章 神様のカルテ.>が出版されているようなので、早速読んでみました。
以下はネタバレになりますので、避けたい方は回れ右でお願いしますね。
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一止先生は、24時間365日救急外来受付の本庄病院から、長野県の医療の中枢「信州大学医学部付属病院」に勤務先が変わっていました。
信濃大学でも ”引きの栗原” のジンクスは変わらず、相変わらず急患受付でてんてこ舞いです。
ただ、本庄病院と違うのは、栗原先生は「信濃大学」の医学部の院生として学びながら、医療の現場に立っている点でしょうか。
本庄病院では、医師と患者と直接的な交流が比較的出来ますが、システムが構築され、一定のルールのもとに動いている「医局」に支配されている大学病院では勝手が違います。
病床数は677。そこに働く医師は専門的に細分化され、教授・准教授・講師・助教・医局員・大学院生・研修医・アルバイトと1000人を超える医師たちがいます。
そんな複雑怪奇で迷宮のような大学病院で、准教授や所属する班の班長と色々と衝突しながら、配属された第四内科で患者の生命と向き合っています。
白い巨塔のような世界は、本当にあるのですよね。
大学病院の医師は、長野県内各地の病院に非常勤で勤務したり、急に呼び出されて各地に駆けつけたり、ドクターヘリで飛来する救急患者の受け入れをしたり、自身の理想と現実の狭間で揺れているのが、なんとなく読み取れます。
しかも、患者を診ながら、指導医として研修医の指導をし、自身は院生として研究をしなければならない。
なんて過酷な状況に身を置いているのだろうかとぞっとします。
原作者夏川草介氏は、現役医師のようですから、そのような過酷な状況で小説を書く気力があることに、もっと驚いてしまうのですが…。
今回は、イチさんとハルさんにご長女が誕生しています。
本当に、過酷な毎日を生きる一止先生の心の陽だまりのような存在。
そして、ハルさんは一止先生の疲れを吹き飛ばしてくれる何物にも代え難い存在。
過酷な状況の中でも働いていけるのは、暖かい家族に恵まれていることもあるのかも知れません。
話の内容は、やはり身につまされる内容で。
お話の核は、一人の若い膵癌患者の方とご家族の物語でしょうか。
神様のカルテはお医者様から見た病院内の風景ですが、私は患者側が見る病院内の風景として、変換してしまうので、尚更辛い一面もあります。
准教授が、ベッド数の確保で毎日キリキリしているのも、考えさせられます。
相沢病院もそうですが、大学病院も「急性期病院」である限り、治療したら次々に退院させなければならないのは、宿命なのかも知れません。
物語は、松本市の四季、安曇野市の四季を巧みに描きながら、一止先生の葛藤と成長を描いていきます。
当然、そこに住んでいるのですから、ありありと眼前に景色が広がるものです。
余計に身近に感じてしまうのは、大好きな長野県が舞台だからなのかも知れません。
しかも、作者の先生は、地酒に対する蘊蓄が深い。ふふ。
お酒を飲まない私でも、ちょっと興味を持ってしまう箇所もあります。
まるで、漱石の文学の登場人物が話しているかのような一止先生の話し方が、重くなりがちなテーマに明るさと希望を与えてくれます。
一読した後は、医療に対する認識と自らが受診する際の思いが少し変わっているかも知れません。
決して読んで損はしない。
そんな一冊でした。
最後に、物語で印象に残った一止先生の言葉を。
もちろん、文学好きな一止先生が読んだダンテの「神曲」からの一説ですが。
「”汝は汝の道を行け、人々には言うに任せよ”」