信州松本ぺんぎん堂

信州にまつわる情報を愛を持って発信しています!

松本の行事 青山様・ぼんぼん

どうもこんばんは、茶々丸です。

 

我が故郷、松本市には青山様ぼんぼんという夏の行事がありました。期間は8月上旬からお盆くらいの5日〜1週間くらい(何日間か記憶が定かではありません)毎晩行われていました。

青山様は小学生以下の男の子が、ぼんぼんは小学生以下の女の子が行う行事です。

青山は神輿を担いで町内を練り歩きます。この神輿の御神体、というか神輿の上に載せられているのは青々とした若い杉の葉っぱです。祖先の霊をお迎えするための行事だと言われていました。

f:id:pengin-dou:20210803162559j:plain

ぼんぼん 松本市ホームページより拝借

小っちゃい画像で失礼しますが、ぼんぼんは浴衣を着た女の子たちが鬼灯提灯をさげて聴くとちょっと悲しくなるような哀愁漂う唄を歌いながら町内をゆっくりと練り歩きます。ぼんぼんは祖先の霊を鎮めるために行われる行事だとのことです。

青山様とぼんぼん、どちらの行事も江戸時代の末期から始まったと伝えられています。

今回はこのぼんぼんと青山様についてかすかな記憶を頼りに書いていきます。

 

 

青山様

 

f:id:pengin-dou:20210803203341j:plain

昭和時代の青山様の写真

「おわかりいただけただろうか……」みたいな写真ですが昭和40年代の青山様の御神輿と子どもたちの写真です。いや、プライバシーに配慮して加工したら怪しい写真になってしまっただけなんですけど(汗)。みんな頭にはちまきを巻いてお祭り気分が伺えます。

青山様は小学生男子が行う行事です(ただし、男子の人口が少ない町内では女子も一緒に青山様に参加していました)。同じ小学校に通う町内の子どもたちで構成される「町別子供会」で青山当日より前の昼間に公民館に集まり、大人たちがどこからか入手してくれた杉の葉を神輿の土台にのせることから始まりました。と言ってもこの作業をしてくれたのは主に親御さんとかおじいちゃんたちだったような記憶があります。

神輿の上に載せた杉の葉っぱが御神体ということになるのでしょうか、神輿の上には祠状の造形物などはなく、ただ杉の葉ががこんもりと盛られて、その上にドームを作るようにバッテンに細い竹の棒を渡してその上から白いさらしを被せていた記憶があります。上の写真ではバッテンよりも多く竹の棒が渡されているようにも見えますね。

そして神輿の前方には提灯と「青山様」と書かれた小さな幟がくくりつけられていました。

御神輿の大きさや作りは各町内会で違っていたんじゃないかと思います。

 

青山様の体制をざっと説明しますと、2人とか4人とかで神輿を担ぎ、残りの子は提灯を持ってその神輿についていきます。そして、重要な役割の子がひとり。その子はお賽銭を入れてもらう用の火のついていない提灯を持って歩きます。上の写真では「忠」と書かれた提灯が普通に灯りを灯して歩くもので、前列左方にあるぺしゃんとしたしましまの提灯がお賽銭を入れてもらう用じゃないかと思われます。

この青山様の一団は夜7時くらいに御神輿を保管してある公民館などから出発し、付き添い当番の保護者数名と一緒に町内を練り歩きます。

歩いている最中は「わっしょい、わっしょい」などとかけ声をかけ、町内会の家の前に来るとそこで止まって、かけ声をかけながら神輿を大きく前後に動かします。このかけ声は町内会によって微妙に違いますが私のいた町内では

「あ〜おやまさまだい わっしょいこらしょ、あ〜おやまさまだい わっしょいこらっしょ わっしょ わっしょ」

でフルコーラスでした。お隣の町内では「わっしょいこらしょ」ではなく「わっしょわっしょわ〜い わっしょわっしょわ〜い」でした。道の半分から向こうと半分からこっちというくらいもろに隣の町内なのにどうして違うのかとても不思議です。

「あ〜おやまさまだい わっしょいこらしょ」のときには神輿を大きく前後にゆらし、「わっしょ わっしょ」のところで上下に大きくゆすります。上下に神輿を振ると神輿に取り付けられていた鈴が鳴った記憶があります。

で、このかけ声を聞くと(心ある家の人は子どもたちの声が遠くから聞こえてきた時点で外に出て子どもたちの様子をみてくれました)家の人が外に出てきて子どもが持っているお賽銭用の提灯に小銭(お札の家もありました)を入れてくれます。すると全員で一斉に大きな声で

「ありがとうございました〜!」

とお礼を言って去って行きます。まあ、隣の家に移動して同じことを繰り返すのですが。5日か1週間か忘れましたがそれだけの日数、毎晩子どもがお賽銭をおねだりに来るのだから、よく考えるとハロウィンも真っ青な行事ですよね。しかも、各戸を回っていくのですから住宅密集地なんか大変です。1時間くらいは子どもたちの大きな声がそこら中の町内から響き続けるのですから。けれども、病気で寝込んでいる人がいるお宅には行かないとか宗教的理由で青山様を受け付けないお宅には行かないとか、そのあたりは付き添いの大人たちが教えてくれていました。まあ、こんな感じでお参りも何もなく行われる行事だったので宗教云々というのは関係があったのかどうか……見かけ上は御神輿でしたけれども。

ちなみに青山様で各ご家庭からいただくお金はお賽銭と言われていましたが、多分、町別子供会の会費になっていたと思います。翌年の杉の葉っぱを買うとか、町別子供会を公民館で開くときのお茶菓子代にするとか。もっともこれは推測でしかありません。

 

青山様の最終日は家の前で神輿を振るときのかけ声が変わります。

「あ〜おやまさまだい 今夜でお〜わり、あ〜おやまさまだい 今夜でお〜わり、わっしょわっしょ!」

子どもたちは毎晩のお祭りが終わってしまって寂しかったでしょうが、町内の小学生の子どもがいない各家庭のみなさんは「今夜で終わり」と聞いてホッとしたかもしれませんね。大声でお賽銭をおねだりに来る子どもたちが来なくなるのですから。

私が住んでいた町内では子どもの数が少なく、私が小学校を卒業する頃には男子もいなくなり、なぜか青山とぼんぼん両方を女子が行うという形になりました。しかも子どもは自分も含めて3〜4人しかいなかったような記憶があります。少子高齢化の先駆けと言いましょうかなんと言いましょうか。

 

ぼんぼん

ぼんぼんと言っても「な〜つがぼんぼん安曇野に〜♪」という曲に合わせて踊る年に1回の大イベント松本ぼんぼんとは全く違うものです。

ぼんぼんは小学生以下の女の子が行う行事です。

浴衣を着た女の子たちがお花紙で作った大きなお花を頭に飾り、手にはろうそくを灯した鬼灯提灯を提げて唄を歌いながらゆっくりと町内を練り歩きます。

 

 

私がこの記事を書こうと思ったきっかけになったのが上にリンクを貼った「ぼんぼんのうた」のYouTube動画です。女の子たちはほぼこのような哀愁を帯びた唄を歌いながら歩きます。なぜ「ほぼ」と書いたかというとメロディが若干違う(この動画を上げてくださった方はアレンジと書いておられるので違うのだと思います)のと、歌詞が7番まであるとは知らなかったし、その歌詞も私が育った町内のものとは異なっている部分も多々あり、何より私が歌ってきた歌詞がこの7番までの間に存在していないという驚きもありました。そこでぼんぼんと青山について記事にしたいなと思ったのです。

青山様のかけ声も隣の町内と違いましたが、ぼんぼんの歌も隣の町内と歌詞が違っていました。メロディも若干違っていたかもしれません。

私が歌ってきたぼんぼんの歌詞は以下の通りです。

 

ぼんぼん とても今日明日ばかり

明後日はお嫁のしおれ草

しおれた草を櫓にのせて

下からお見ればぼたんの花

ぼたんの花は散っても咲くが

情けのお花はいまばかり

情けのお花 ほいほい

 

八百屋の前で茄子の皮ひろって

お竹さんもおいでお松さんもおいで

ままごと遊びにみなおいで

ままごと遊び ほいほい

 

六九(ろっく)はいやだ六九はいやだ

ろくろくろ首がふたつに割れて

中からおばけ ほいほい

 

 六九(ろっく)というのは松本城の南側、縄手通りのすぐ西側にあった通りで昭和時代まで六九商店街というアーケード商店街がありました。その六九をなぜdisっているのかはわかりませんが、単なるダジャレだったのでしょうか。

1番の「明後日はお嫁のしおれ草」という部分は「明後日はお山のしおれ草」と歌っている町内もあるようです。どちらが正しいのかはわかりませんが、こいういう違いが生まれてくるのはこのぼんぼんのうたが「口伝」だからだと思います。現在どうしているのかはわかりませんが、私が小学生だった昔は大きいお姉ちゃんたちが歌っているのを聞いて覚えて歌っているだけでした。どんな意味があるのかなど歌詞の解説も聞いたことがありません。また、その部分だけ聴けば「明後日はお嫁のしおれ草」よりも「明後日はお山のしおれ草」の方が正しいように感じると思いますが、YouTubeの動画で歌詞を見ると怖いお姑さんの目が光っているということを歌っている箇所があったので「お嫁に行くといろいろ大変でしおれちゃう」と考えるとあながち間違っていないような気もするのです。

ぼんぼんのうたが口伝だったおかげで私はつい昨年くらいまで2番の「お竹さんもおいでお松さんもおいで」の部分を「御嶽山もおいで大松山もおいで」だと思っていて「大松山なんて長野県にあるのか???」なんて状態でした。御嶽山が木曽にあるから生まれてしまった誤解です。

 

上にリンクを貼った「ぼんぼんのうた」は演奏も歌っている子どもの声も素晴らしいのでぜひ聞いてみてくださいね。

 

ちなみに女の子が頭に飾る大きなお花は、ぼんぼんが始まる前の任意の日の昼間にやはり町内の子どもたちが公民館に集まって一緒に作りました。まあ、男子たちが青山様が作っているのと同じ場所で女子がお花を作っているという感じです。このお花に色水を霧吹きでふきかけて模様をつける、なんてこともしていました。

また、火を灯して歩く鬼灯提灯はぼんぼんの日までに近所のスーパーで買っていました。上の方がピンクや赤の色で塗られていて、菊か何かのお花と葉っぱが描かれていました。毎年新調していたような気がします。提灯の中の火は小さなろうそくに点ける生の火なのでぶらんぶらん揺らすと提灯が燃えます。提灯を燃やすようなアクシデントを起こすような子はいませんでしたが、途中で消えるというハプニングはあったので、その場合は付き添いの大人の人が予備のろうそくに火を点けてくれました。

男子が少ないと女子も青山様に参加しましたが、女子が少なくても男子は青山様に参加しなかったと思います。

また、女の子は上に貼った写真のように毎日毎日浴衣を着せてもらってぼんぼんに参加していましたが、私が浴衣を着せてもらったのは小学校1年生か2年生まででした。母も毎日着付けるのは面倒臭かったのではないでしょうか。それに、男子が少ない町内だったので青山にも参加しなければならないという事情もあったかもしれません。自分が高学年になった頃には浴衣で参加するのはあとからよちよち着いてくる小学生以下の子だけでした。

男子がいなければ青山様はやらなくてもいいんじゃないかとお思いでしょうが、そこは伝統とお賽銭集めという大事な理由がありますからね。

 

しかし、同じ日の同じ時間帯に「わっしょいこらしょ」という元気な童子の声やら「ぼんぼん とても きょうあすばかり」なんて哀愁を帯びた童女の歌声が聞こえてくるとか、いま考えるとなかなかカオスな状況ですな(笑)。ご先祖様の霊も1週間もの間、迎えられたり鎮められたり大変です。けれど、小学生だった当時は不思議にも思いませんでした。

 

いまも松本でぼんぼん・青山が行われているのかわかりませんが、ぼんぼんで使われた鬼灯提灯がほしくなるときがあります。お盆の期間に部屋の中に飾っておこうかな〜なんて。

ネットで探してみたのですが同じ柄のものは見つかりませんでした。松本市のデリシアとかツルヤなどのスーパーや綿半などのホームセンターに行かないと買えないのかな?

江戸時代から続く伝統行事はいつまでも残っていてほしいなと思う茶々丸です。

www.city.matsumoto.nagano.jp

 

それでは、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

こういう紙でお花を作ります

 

ぼんぼんの提灯に似ているけどちょっと違う

 

これもちょっと違うけど……