信州松本ぺんぎん堂

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松本の郷土料理「からしいなり」を作る

こんばんは、茶々丸です。

故郷を離れて生活しているみなさんは、たま〜に自分の出身地の料理を食べたくなったりしませんか?

私は先日、スーパーでおいなりさん(いなり寿司)を見かけて故郷である松本市のご当地料理からしいなりが食べたいと強く思いました。ご当地料理と言っても、おいなりさんの中にからしが仕込んであるだけなんですけどね。東京では何度かコンビニやスーパーでわさびいなりは見たことがあるのですが、からしいなりは一度も見たことがありません。当たり前と言えば当たり前なんですけど、わさびがあるならからしがあってもいいじゃないと思うのです。

 

以前どこかに書きましたが私は松本生まれ松本育ちですが両親はそうでないため松本の郷土料理や行事に疎く、実はからしいなりを食べたのも東京で暮らすようになってからなのでした。ある年の年末に帰省した折、なかよしのMさまと会ったときにからしいなりの話になってその存在を初めて知ったのです。「えーっ、からしいなり知らないだぁ?あんなにんまいだに」とMさまは大層驚き、「じゃあ食べて帰ればいいわ」なんて言われて一緒に松本市のスーパーやコンビニを数軒回ったのですがどこも品切れ。地元ではそれだけ大人気なのか、それとも普通のおいなりさんに比べて仕入れの量が少ないせいなのか。結局そのときの帰省ではからしいなりを食べることはできませんでした。

そして、存在を知った翌年くらいに帰省したとき地元のスーパー「デリシア」で偶然発見してやっと食べることができたのです。おいなりさんの甘さとからしの刺激が妙にマッチしていて「本当だ、おいしいわ!」と感動しました。なので実はまだ人生の中で1回しかからしいなりを食べたことがなかったんですよね。

コロナでいつ松本に帰省できるかわからないし、まだしばらくからしいなりを食べることができないかな〜と思っていたのですが、ふとひらめいたんです。「売ってなければ作ればいいじゃんね」と。

 

 

 

松本の郷土料理「からしいなり」を作って食す!

からしいなりを自分で作ることを決意した私が用意したのはコレ。

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また開封後の写真ですみません(汗)

長野市みすずコーポレーション味付け油あげ「みすずいなり名人」です。

1軒目に行ったスーパーにはほかの県で作った味付け油あげしか売っていなくて、2軒目に行ったスーパーでみすずの商品を発見。すっごく細かいこだわりなのですが、松本の郷土料理を作るのだからやはり長野県の材料を使いたかったのです。

www.misuzu-co.co.jp

この商品は4枚1パック×2の味付け油あげが入っています。

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これが2個入っています。2パックつながっていて点線で切り取れるようになっているのですが、上の写真は切り取ってすでにもう1パックを開けて中身を取り出してしまった後なんです。ついうっかり写真を取り忘れてあわてて撮影しました(汗)。

この真空パックから油あげを取り出すと15mlほどのタレが残るのでなんとなくもったいなくて明日これを使って切り干し大根の煮物でも作ろうかななんて思いました。どうせ油揚げ入れるし。

 

さて、からしなりの作り方ですが、このいなり名人さえあればあとは簡単♪

  1. この油あげを裏返しにして
  2. 裏側になったつるっとした部分に適量の練りわさびを塗り
  3. あとは酢飯を詰めるだけ

です。私は寿司酢は米酢と白だし三温糖を使って目分量でかな〜り適当に作りました。ほんの少しだけあればいいので養命酒カップを使って作りましたよ。一応10ml刻みのメモリ付きなのでなんとなく目安になります。

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裏返してみた

裏返しにした油あげの内側にからしを塗るのは、からしが1箇所でダマにならない工夫らしいです。今回作るに当たってレシピを検索したところ、油あげに詰めた酢飯にからしをひと塗りするという方法もありましたが、全体的にからみを分散させるには油あげの内側に塗るのがいいのではないかと思いました。

そして完成品がこちら!

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からしいなり

実食した感想は「からしは思っている分量よりも多めに塗っても大丈夫だったな」でした。からしは指先につけて適当に塗ったのですが、もう少し辛くてもよかったなと思って、2個目からは表面にも少しつけて食べました。次に作るときにはその点を改善したいと思います。

みなさまも作るときにはからし若干多めを推奨します。

 

からしいなり」の起源とは?

しかし、そもそもなぜ「からしいなり」なのでしょうか?

ネットで検索すると筑摩神社(つかまじんじゃ)で毎年1月14日に行われる篝火神事(かがりびしんじ)のときに参拝者が食すのが「筑摩からしあげ」という甘辛く煮た大きな油あげだという記事やブログが何件か見つかりました。甘辛く煮た2枚の油あげを真空パックしたものとからしがセットになって紙袋に入ったものが売られているそうなのです。これがからしいなりの始まりではないか、ということらしいのですが私はそれだけでは納得できませんでした。そこまでわかったのならば、「なぜ筑摩神社の篝火神事で油あげとからしのセットを販売するようになったのか」まで知りたいのです。筑摩神社は稲荷神社ではないので油あげを奉納するのはなんだか考えられない。

筑摩神社は延暦13年(794年)の創建。坂上田村麻呂石清水八幡宮を勘定したのが始まりとされており、ご祭神は息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)、誉田別命(ほむたわけのみこと:応神天皇)、そして宗像三女神多紀利比売命(たきりびめのみこと)、狭依比売命(さよりびめのみこと)、多岐津比売命(たきつひめのみこと)。

坂上田村麻呂は当時安曇野民を苦しめていた(あくまでも田村麻呂目線での話)八面大王を討伐し、あまりにも強かった八面大王が蘇らないように遺体をバラバラにして、それぞれのパーツを離れた場所に埋葬したといい、その八面大王の頭部がこの筑摩神社に埋葬されているといいます。

ご祭神も八面大王の伝説もな〜んか油あげとからしに結びつかない。

 

これ以上わからなかったら筑摩神社に電話して問い合わせてみようかな、と思っていたのですが、それでもしつこく検索していたらみつかりました、油あげの謎が。

それが書かれていたのは公益財団法人 中小企業ながの財団の情報誌「マインド信州」vol.59(2018年4月発行)「信州・食べ物紀行」というコーナーでした。

その記事では松本市若増伊平寿司本舗に取材し、なぜ松本でからしいなりなのかということを店主の上島さんに聞いていたのです。

「この辺りでは、法事の時なんかに油あげやこんにゃくを甘辛く煮てお客さんに出すんだけど、盛った大皿に必ず辛子を付けるんですよ。そこから始まったんじゃないかなあ」

そうか。辛子はいなり寿司ありきではない。前段階があったのだ。煮た油あげを食べる時、おでんにそうするように、この地域の人は辛子を付けた。もうその取り合わせは、他に変えがたき最高のコラボレーションなのである。辛子の付かないあげ煮は、たとえばダイコンおろしのない秋刀魚の塩焼きだ。行楽にいなり寿司を持って行くにも、もはやDNAに組み込まれた嗜好に素知らぬ振りはできぬ。かくして、からしなりが誕生したのかも。

 

なるほど〜。そういうことだったのね!

ちなみにやはり松本出身でない両親を持つ我が家では人が集まるときにもこんにゃくや油あげを甘じょっぱく煮たものを出すことはありませんでした。筑前煮的な煮物は大皿で出していましたけどね。だからからしいなりも知らなくて当然だったのかもしれません。DNAにあげ煮+からしのコラボレーションは組み込まれていないですからね。

そして、筑摩神社とからしあげの関係についてもこの記事は教えてくれていました。

 

古来よりの神事で(茶々丸注:篝火神事のこと)、参拝者が食すのが「筑摩からしあげ」である。12センチ×23センチほどの大きな油あげを甘辛く煮たもの2枚を真空パックにして、辛子とともに紙袋に入れ、氏子たちが販売する。

「この辺りでは、法事の時だけでなくお祭り料理としても、からしあげは欠かせない味です」と氏子総代も話してくれた。また「松本タウン情報」によると、どうやら篝火神事の縁起物として、40年ほど前に氏子の女性たちにより考案されたとか。手近にある材料で、普段家庭で食べ慣れているものをと、選ばれたのが「からしあげ」だった。

 

そうか〜、大昔からご祭神におあげを奉納していたわけじゃないんだ!筑摩神社と揚げ煮の関係は、比較的近年のお母さんたちの知恵だったんですね。納得です。

徹底的に取材した「MIND信州」の記者さんのおかげでからしいなりの謎が解けました。感謝です。次回からはすっきりした気持ちでからしいなりを食べられそうです。

作り方もとっても簡単なので、みなさんもぜひ一度作って、信州松本の素朴な味を楽しんでみてくださいね。

それでは、本日も最後までお読みいただきありがとうございました!