登山はお好きですか?
皆さまごきげんよう。
信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。
お元気でお過ごしでしょうか?
ふとした拍子に、思ったのですけど。
子供の頃って、遠足が楽しみでも運動会が楽しみでもなかったなあって。
私が通っていた小学校は、松本平の東南の縁に近く、遠足と言うと必ず山登りだったんですよね。
低学年の頃は、近場の里山と呼ばれる場所まで往復5キロくらいのコースでしたかね。
一番最初は、千鹿頭山(ちかとうやま)と呼ばれるなだらかな里山でした。
標高600mくらいなので、殆ど標高差がないと言うね。
今回初めて知ったのですが、千鹿頭神社は面白い謂れがありそうですね。
ご店主さまが里帰りしたら、一緒に訪ねてみたい場所です。
(ご店主さま、ミシャグジ信仰と関係が深そうですよ)
で、まあ、そのうち学年が上がってくると、段々と遠距離の里山まで遠足の距離は伸びていくのですが。
牛伏寺遠足が一番辛かった思い出が…。
小学5年生の時は、美ヶ原少年自然の家での宿泊遠足でした。
途中までバスで行けるので、安心していたら、案の定美しの塔まで歩きました。
これ、結構距離ありません?
以前当ブログでも紹介したことがありましたね。
shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com
小学6年生になると、美ヶ原キャンプになりました。
何処だったか忘れてしまったのですが、少年の家の近くにテントを張って、自炊すると言うものだったはず。
(今は少年の家の近くでテントを張ってキャンプは出来ないみたいです)
事前に飯盒でご飯を炊く練習をしたり、テントを張る練習をしたりしましたね。
この時も、美しの塔まで歩いたのですが、途中で霧に巻かれまして。
霧と言うか、もう雲ですね。ああなると。
目の前にいるはずの同級生の姿すら見えなくなるのです。
担任の先生にロープを渡され、班ごとに電車ごっこ状態で登ったのを覚えています。
危うく「聖職の碑」になるところでしたが…。(知ってる人いるかなあ?)
飯盒炊爨でカレーを作り、夕食を取った後は、各自班に分かれてテントに入ります。
5,6人で一つのテントだったかなぁ?
夜中に雨が降ったようですが、疲れもあってみんな静かに眠っていました。
すると、何処からともなく「がさがさ、ざばっ。がさがさ、ざぱっ」と言う音が聞こえて来るのです。
私たちは全員飛び起きました。
「熊だ!」
誰かが大声をあげました。
みんな一つに固まって、テントの隅で何が起きているのかも分からずに震えています。
その間にも「がさがさ、ざぱっ」と言う音が近づいてくるのです。
「どうしよう~」「怖いよう」
遂に、私たちのテントにも「がさがさ、ざぱっ」がやって来ました。
みんなもう泣きそうです。
その時、テントの入り口ががさりと開きました。
「ぎゃああああああぁぁぁぁぁぁっ」
みんなで悲鳴を上げて入り口を見ると、引率の先生でした。
「なんだ、みんなそんな大声出して。ゆっくり寝ろよ」
先生は、ばさりとテントの入り口を閉めて、去っていきました。
「誰のせいだよ!誰の!」
「怖かったぁ~」
などと口々に言いあいながら、またみんな眠りにつきました。
先生は、雨が降ってテントの上部に溜まった水を払いながら、生徒の様子を見回っていたのでした。
やがて中学生になると、燕岳登山があるのですが、ここで、山好きか山嫌いになるか、分かれるところです(笑)
兎丸は嫌いになりましたが、ご店主さまはワンゲル部に入りたいと思ったようです。
県内各学校で、登る山は違うのですけれども。
因みに一覧をば。
高校生になると、今度は恐怖の「強歩大会」が待っています。
松本市の東側に位置する公立高校は、たいてい美ヶ原近辺か美鈴湖辺りを走ります。
これ、ガチなんで、標高1000m位を駆け上り駆け降りる過酷な大会でしたね。
私?
あ、病弱なんで走ったことありません(笑)
皆さんお住いの県にも様々な遠足があり、様々な行事があると思います。
みんなで伝え合ったら面白そうですね。
最後に、行くときは母が詰めてくれたリュックの中身が帰りには何故か入らなくなると言う経験をお持ちの方はいらっしゃいませんかねえ。
私、毎回苦労しておりました。
兎丸拝