信州松本ぺんぎん堂

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峠の釜めし長野店が閉店に

皆さまごきげんよう

信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。

毎日暑い日が続きますね。

新型コロナウイルスの新規感染者も増え続け

大変な世の中になったものです。

その余波を受けてしまたのかどうか。

上信越自動車道 長野インター近く 川中島古戦場隣接地にある

峠の釜めし「おぎのや」長野店が、8月31日をもって閉店することとなりました。

 かなり広い店舗なのですが、勿体ないですね。

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おぎのや 長野店

www.oginoya.co.jp

 

実は、峠の釜めしってあまり食べたことがなくて、今回折角だから買いに行こうとなったわけです。

まあ、今現在は長野県内でも様々な場所で買えるようです。

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      さてさて、張り切って店舗に入ったのですが、予約制で2時間半待ち。

2時間半をどうやって過ごそうか…考えてしまうところです。

まあ、折角川中島の古戦場の近くまで来たので、松代城跡まで行ってみることにしました。

隣、古戦場でしょうがあぁぁぁ。

なんで、松代なんだ!と言う突込みは無しでw

一路、松代城跡に向かいました。

 

www.matsushiro-kankou.com

 

松代城は、元は海津城と言い、かの山本勘助が築城したという城です。

 読みは「かいづじょう」。 山本勘助が築城し、甲州流築城の模範になったといわれる名城。 川中島平全体をにらむ、戦略的に重要な地点にあり、三方を山に囲まれ、西は南北に流れる千曲川という自然の地形を巧みに利用した堅固な造りであった。 激戦となった第4回川中島合戦では、信玄がここを基地として出撃する。

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海津城


戦国時代は、甲斐武田の居城となった海津城ですが、江戸時代には真田家の居城となっております。

松代城海津城)跡〔国史跡〕
松代城は、江戸時代には松代藩主・真田家の居城でした。そのはじまりは、戦国時代に築城された海津城です。
海津城の築城年代は不明ですが、海津城の名が文献に確認できるのが永禄3年(1560)ですので、このころにはすでに築城されていたことがわかります。
戦国時代から江戸時代初頭までこの地を支配した武田信玄上杉景勝などにとって、この城は北信濃を支配する上での軍事的・政治的に重要な拠点となっていました。
元和8年(1622)に真田信之が松代に移ると、松代城本丸に御殿を建築し、松代藩政の拠点としました。
その後、江戸時代の半ばには、御殿が城の南西に位置する花の丸に移ることになり、本丸は機能を持たなくなりました。

真田信之真田信繁真田幸村)のお兄さんですね。

信之は徳川方、信繁は豊臣方と、兄弟敵同士として関ケ原の戦いに参戦していることは有名です。

この松代城は、真田信之の居城として、相当な敷地面積を誇ります。

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立派な門や石垣、土塁、堀などが復元されつつあり、往時の権勢を誇るかのようですが、門をくぐると、そこは広大な敷地。

44,956㎡ 東京ドーム一個分ほどの広さの土地が広がっています。

(殆ど誰もいない広大な空間って想像できます?)

 

ぜひ、時間をかけて、真田家の歴史の中を探索されることをお勧めします。

 

www.sanadahoumotsukan.com

 

私はと言えば、蝉時雨の中、平地にところどころ建つ東屋で空を見上げながらぼ~っと時を過ごしておりました。

青い空に白い雲。爽やかな風。

本当にいい場所ですよ。

 

さてさて、時間になりましたので、釜めしを買い、一路家路へと向かいます。

何処にも寄ることなどしません。

観光を楽しむには、あともう一息、辛抱しなければなりませんね。

 

さて、家に帰って食するのですが、器からしてわくわくしますね。

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おぎのや 峠の釜めし

 

ちょっと生活感あふれちゃってますが (;^_^A

 

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うずらの卵上の方に見える少し飴色のものは、あんずの蜜漬けですね。

程よいアクセントとして、実によく合います。

実は、この釜めし、昭和天皇も召し上がられたのだそうです。

 

峠の釜めし」は昭和天皇にご愛顧

峠の釜めし」は、昭和天皇が富山国体へ向かわれる際、横川駅にて積み込みのご用命を賜るなど、ご愛顧いただきました。特に、夏、軽井沢を訪れる皇太子殿下(当時)ご一家がご帰京の際には「特製・峠の釜めし」を召し上がることが恒例となり、宮様方から畏くも有難いご愛顧を賜りました。

 

今は、アプト式鉄道が廃止されてしまいましたが、当時は急こう配の碓氷峠越えの準備のために、長時間横川駅に停車していたために、駅弁「峠の釜めし」が売られていたのですね。

 

(横川駅は)碓氷峠越えの拠点駅であった。碓氷峠には最大66.7‰という国鉄・JR史上最急勾配があり、列車が走破するためには補機であるEF63を連結・解放する必要があった。そのため、基本的には全ての列車が客扱いし長時間停車した。その時間を利用して乗客が購入していたのが「峠の釜めし」で、製造販売している「おぎのや」は駅前にある。

 

明治18年10月15日 横川駅にて構内営業開始。
駅弁「おむすび」販売開始。
駅弁販売は全国でも宇都宮に次ぐ老舗

 

創業明治18年であるおぎのやさん。

是非とも、峠の釜めしなど、美味しいお弁当を私たちに届け続けて欲しいですね。

 

今は、スピードや効率性が重視されて、駅弁を楽しむ列車の旅がしにくくなっていますが、ゆっくりと車窓を眺めながら、旅を楽しむのもいいものだと思います。

 

 

新型コロナウイルスが落ち着いたら、ぜひ、信州へ遊びにお越しくださいませね。