信州松本ぺんぎん堂

信州にまつわる情報を愛を持って発信しています!

小布施で”モン活”はいかが?

皆さまごきげんよう

信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。

もう、冬が始まりそうな朝晩の冷え込みですが

今は秋真っただ中。

美味しいスイーツのご紹介をしましょう。

 

先ずはお馴染み「栗の木テラス」のモンブラン

 

 

 

 


この、甘すぎずしつこすぎない栗の風味が紅茶とよく合うのです。

聞くところによれば、小布施の栗とお砂糖だけで練られたクリームなのだとか。

日本紅茶協会の「美味しい紅茶が飲めるお店」認定店にも選出されているこの栗の木テラスは、モンブランとともに紅茶の香りが楽しめるシックなお店です。

横には、ちょっぴりだけ工場が見える路地があるんですよ。

 

www.kanseido.co.jp

 

 

続き栗の点心「朱雀」が大人気のえんとつと言うお店です。



 

 

これが噂の栗の点心「朱雀」

新栗が採れるほんのわずかの間しか(1か月くらい)食べることのできない幻のモンブランです。

かく言う兎丸も、まだ口にしたことがありません。

 

こちらの洋風にアレンジした「モンブラン朱雀」は食べたことがあります。

 

こちらも、これでもかってくらい栗が栗栗とお口の中で広がります。

こちらも、モンブラン好きにはたまらないですよね。

 

 

どうしても小布施に行かれない方は、こちらがおすすめ。

小布施堂Shinjuku(伊勢丹新宿店)、阪急うめだ本店での店頭販売、および小布施堂オンラインショップにて秋から冬の期間限定で販売されています。

obusedo.com

 

 

 

小布施の気候は、栗の栽培に適しており、江戸時代には「将軍栗」として将軍家に献上されていたほどの上質なものです。

街中を歩いていると、あちこちから「焼き栗」の匂いも漂ってきて、ついつい買ってしまうという、栗の町です。

葛飾北斎館もあって、美術も楽しめる。

モン活しながら、芸術の秋を楽しむのは如何でしょう?

 

 

 

 

 

 

 

秘境 七色カエデ

皆さまごきげんよう

ぺんぎん堂安曇野支店のぺんぎん兎丸です。

急に朝晩の気候の変化が激しくなりましたね。

急速に樹々の紅葉も広がりつつあるようです。

 

安曇野市の北東に位置する、あづみ野池田町にある「七色大カエデ」を見に行ってきました。

今週いっぱいくらいで見ごろは過ぎそうですが、見事な紅葉でしたよ。

 



標高1000mにある大峰高原。

ここにある大きなカエデが七色大カエデです。

地元の人が大切に守り続ける樹齢250年ほどのカエデです。

 

ご存じでした?モミジもカエデも実は「カエデ科カエデ属」の植物なのです。

モミジは、「紅葉」から名付けられ、カエデは「蛙手」”かえるて”がカエデにと呼ばれるようになったようです。

びっくりですね。

 

緑色から黄色、紅色まで一本の樹で楽しめるんです。

大カエデの周囲には、中カエデ、小カエデも色づき始め

真に紅葉狩りを満喫できる観光スポットなのです。

 

ひっそりと静かにたたずんでいた、この大カエデが発見されたのは。昭和22年。

大峰高原開拓団が開墾の際に発見したものです。

しかし、この時の開墾は失敗し、それから20年ほどのちの昭和43年に、この辺りに大峰牧場ができ、道路を作った際に、立派な大樹に成長した大カエデに再開したそうです。

但し、気を付けなければならないのは、この「七色大カエデ」がある一帯は「私有地」であるという事です。

決して大挙して押し寄せて踏み荒らすようなことがありませんように願うばかりです。

池田町の人々は、この大峰高原が俗化されることを避けながら、大カエデを守り続けています。

見に行く方も、ごみを散らかさない、柵の中に入らないと言った心遣いが必要です。

入場の際は、一人200円ほど善意で支払うようになっています。

これも町で、大峰高原を守るための大切な浄財なのです。

 

俗化させず、ひっそりと、しかし確と護り抜く。

信州池田町の人々の心が素晴らしいですね。

 

春夏の大カエデも冬の大カエデもそれはそれは見事です。

 

ikeda-kanko.jp

 

池田町は、ハーブの里でもあります。

道の駅ではラベンダーの良い香りが楽しめますよ。

 

是非とも、静かにお越しくださいませ。

 

2022年11月5日にウォーキングイベントがあるようです。

締め切りは過ぎましたが、若干名募集があるようなので、如何でしょうか?

信州の秋を、ぜひ、ご体感くださいませ。

 

 

 

 

 

 

奈川度ダムをご存じですか

皆さま、ごきげんよう

信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。

 

夏の暑さもようやく行き過ぎ、秋の気配が感じられるようになりましたね。

さて、あまり家に引きこもっていてもよくないので

ちょっとお散歩に行って来ました。

ちょっとお散歩で、山の中って言うのも信州あるあるでしょうか。

 

奈川度ダム

ここは、標高983mの奈川度ダムです。

奈川渡ダム(ながわどダム)は、長野県松本市信濃川水系犀川の上流部・梓川に建設されたダム。管理者は、東京電力リニューアブルパワー。高さ155メートルのアーチ式コンクリートダムで、東京電力による大規模な水力発電所開発に伴い下流の水殿(みどの)ダム・稲核(いねこき)ダムとともに完成。これらは総称して安曇3ダム、もしくは梓川3ダムと呼ばれる。ダム湖人造湖)の名は梓湖(あずさこ)という

梓湖が日に映えてきらきらと輝いていました。

ここには、昔はTEPCO館とかとかあって、そこそこ観光地だったのですけれども。

あの震災以降、TEPCO館も閉鎖され、上高地に行くための通り道になってしまいましたね。

でも、155mは、結構高い💦

おそるおそるのぞき込んでみました。

ここを階段で上り下りする方は、すごいですよね。

 

 

ここまで登ってくるのには国道158号線を走るのですが、これが酷道なんですよね。

道幅が狭く、前から大型バスが来るとちょっとビビります。

当時は、日本で2番目の高さを誇っていたのですが、広島県温井ダムに1m越されてしまいましたが、諏訪湖2杯分の水を称える奈川度ダムは、発電だけではなく、下流の農地にとっても大切なダムなのです。

 

 

1969年(昭和44年)11月、3ダム完成を祝ってしゅん工式が催された。完成した奈川渡ダムは高さが155メートル、同じアーチ式コンクリートダムとして富山県黒部川上流の黒部渓谷にある黒部ダム関西電力)の186メートルに次ぐ日本第2位の高さを誇った。その後、奈川渡ダムよりもわずか1メートル高い温井ダムが完成し、現在では日本で3番目に高いアーチ式コンクリートダムである。水殿ダム・稲核ダムもまた奈川渡ダムと同様にアーチダムであり、同じ河川にアーチダムが3箇所も存在するのは犀川のみ。ダム湖である梓湖(あずさこ)は総貯水容量が1億2,300万立方メートルであり、長野県最大の湖である諏訪湖の2杯分の水が貯えられる。これは信濃川水系のダムの中で最大である。この水は膨大な量の電気を発生させるだけにとどまらず、下流に広がる農地4,000ヘクタールを潤す農業用水としても利用されている。

 

少し紅葉の季節には早かったですが、上高地に行く前に、一息ついてみては如何ですか?

大自然の豊かさを存分に感じられることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

松本市民はなかなか傘をささない!?

こんばんは、茶々丸です。

秋雨の季節になりました。傘の出番が多くなりますが、そういう季節になると私には人知れず悩むことがあります。

それは「どのくらいの雨になったら傘をさすか」ということです。

何でそんな変なことで悩んでいるの?って不思議に思いますよね。

実はその理由は私が松本市出身であることと深いかかわりがあるのです。

 

私は信州では松本でしか暮らしたことがないので県内の他の市町村がどんな感じなのかわからないのですが、私が松本で暮らしていたおよそ20年前までは松本市民は小雨くらいでは傘をささない人が多かったのです。小雨くらい……というか、結構降っていても歩く距離がそれほどなければ傘を開かない人も多かった記憶があります。

昔、夏休みに大学の先輩が旅行のついでに松本に寄ってくれてお城と安曇野の大王わさび農場を案内したことがあるのですが、そのときに夕立が降ってきまして。私も傘をさしませんでしたがほかの通行人たちも傘をささず、先輩から

「おい、いくら何でも松本市民は傘をささなすぎだぞ!!!!」

と指摘されたこともありました。

これは私の推測ですが、松本市民があまり傘をささないのはおそらく乾燥した気候のせいではないかと考えています。髪や洋服がちょっと湿ってもすぐに乾いてしまいますからね。私に「松本市民は傘をささなすぎ」と指摘した先輩は確か九州のご出身だったのでやはり湿度の高い地域で育たれたのではないかなと思います。

 

そして!

私が現在住んでいる東京はどうかかというと、感じるか感じないかの雨でもみんなすぐに傘をさします!!!!!車がワイパーを使うほどじゃなくても通行人は傘を使います。霧雨でも小雨でもそこらじゅうで傘の花が咲きます。

そうすると「えっ、えっ、これっぽっちの雨で傘さすの!?」と元松本市民の私はちょっと挙動不審になってしまうのです。もちろん、私は周囲の人々に合わせてほんの少しの雨でも傘をさすようになりましたよ(笑)。郷に入れば郷に従えですよね!けれど、心のなかではやはり「こんなちょっとの雨で傘をさすのか〜」と思ってしまうのです。三つ子の魂百までもってこういうことを言うのでしょうかね?

まあ、東京の雨は空気中の汚れをたくさん含んでいそうだし、何より湿度が高いから、ほんの少しの雨でも傘をさすのが正解な気はします。もう20年も東京にいるというのに湿度の高さにまだ体が順応していません。カラッとした松本で育ったので湿度の高さが不快で仕方ないんですよね、乾燥肌のくせに(笑)。そこでどんなに小雨でも傘の出番が増えるというわけです。

けれど、私が松本を離れている間に他府県から移住したみなさんの割合も増えたと思いますし、松本市民でも傘をすぐにさす派の方も多くなったかもしれませんね。それとも私のように郷に入れば郷に従えで多少の雨なら傘をささない派に転身する方が多いのでしょうか???

みなさまのお住いの地域ではすぐに傘をさしますか?もしもお暇だったらコメント欄で教えて下さいね。

ということで、本日も最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

食べて楽しいおもしろジュレ

こんにちは、ぺんぎん茶々丸です。

本日は一風変わったジュレをご紹介いたします。

それがこちら!

穂高観光食品さんのシャインマスカットジュレでございます。

こちら、度々登場する松本在住Mさまからいただきました。いつもありがとうございます😊

 

何が変わっているのかといいますと………

 

わかりますか? 何かがゴロゴロ入っているのが……?

実はこれ、タピオカなんです!

まるでいくらの醤油漬けみたいにタピオカがたっぷり入っているんですね〜。

香りはすご〜くシャインマスカットです。蓋を開けるとものすごく華やかな香りがします。

これをパンに乗せると炭水化物ON炭水化物みたいなんですが、そのくらい本当にすごいタピオカです。

個人的にはパンには「う〜ん……」という感じだったのでヨーグルトでリベンジしてみました。

ね、ね、タピオカたっぷりなのがわかりますでしょ?

私はビヒダスヨーグルトにしてしまったのですが、もっと酸味の少ないヨーグルトのほうが合いそうです。無糖ヨーグルトって酸味が強いと甘いソースをかけても甘みを打ち消してしまうじゃないですか。ビヒダスだとその現象が発動してしまいました。

ヨーグルト以上に合うのはバニラアイスですね。安いアイスでもなんとなく高級感が出ます(笑)。

そうそう、おうちでパフェを作るときにソースとして使うと見た目も香りもグッドだと思います❣️

パンにはどうかなと思ったのですが(すみません💦)、パンケーキに生クリームと一緒に添えれば見た目もおしゃれだし味も合いそうです。

おもてなしのデザートにもお子様のおやつにも目と香りで楽しめるので喜ばれるんじゃないかな〜😄

みなさまもデザートのトッピングに生かしてみてくださいね。

 

この記事を書くにあたって穂高観光食品さんのサイトを見たら、わさびジュレなんていう商品もありました。写真を見る限り瓶といい中身といいシャインマスカットジュレとそっくりです。わさびジュレの方が当然もっと深い緑の山葵色なのですが。わさびジュレの方はお料理にわさびの香りと彩りを添える調味料で、お刺身やお蕎麦、お寿司などに添えた写真がありました。和食がハイカラになりますね。

どちらのジュレもパーティー料理に使うとよさそうです。これからハロウィンもあるし、みんな大好きクリスマスも来るし、出番はいろいろありそうです。

ということで、本日も最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

【信州のごはんの供】テーブルランドのなめ茸

こんばんは、茶々丸です。

本日はまたまたごはんの供をご紹介したいと思います。

食欲の秋にぜひお役立てください😁

 

 

テーブルランドのなめ茸

本日ご紹介するのはこちら、テーブルランドなめ茸でございます!

写真がピンぼけですみません💦

なめ茸というのは割とポピュラーなごはんの供なのでしょうか?

というのも、私が初めてなめ茸の存在を知ったのは19歳のときだったのです。

大学時代、先輩方と「お金がないときに何でごはんをたべるか」という話をしていたときに「俺はなめ茸だ」とおっしゃった先輩がおられまして。その方は四国の方だったので「なめ茸って四国のものなのかなあ……」と薄っすらと思っておりました。で、先輩があまりになめ茸を推すのでじゃあ一度食べてみようかなと思ったのがきっかけで19歳にして初めてなめ茸デビューを飾ったのでした。そのときに買ったのがテーブルランド(丸善食品)のなめ茸だったのです。

なめ茸を製造している会社は色々ありますが、私が一番気に入っているのがこのテーブルランドのなめ茸です。それは多分に上記の思い出補正が入っているせいではあります(笑)。しかも、この商品は私の家の近所で手に入るなめ茸のなかで一番のお手頃価格で、1瓶100円前後です。

瓶にかわいいイラストが入っていますが、これは封を開けるとパラリととれて瓶だけになります。

中身はこんな感じ。

 

 

お味はほかの会社のなめ茸よりも甘めな気がします。みたらし団子のたれの塩分が濃いバージョンといいますか。このなめ茸は固形成分60%と表記されていましたが、タレを楽しみたい方におすすめの商品なのだそうで、えのきのシャキシャキ感を楽しみたい方には80%、タレもえのきも両方楽しみたい方には70%の商品もあるようです。今度はそちらも食べてみたいですね。

 

丸善食品工業はホモソーセージの会社ではない!

テーブルランドは千曲市に本社を置く丸善食品工業のブランドですが、調べてみると丸善食品工業株式会社とは別にテーブルランドも株式会社になっています。

www.tableland.co.jp

www.tableland.co.jp

テーブルランドではサイトを見る限りなめ茸だけでも13種類も製造しています。にんにくなめ茸とか八幡屋礒五郎の七味の入った七味唐辛子入りなめ茸、シナノブラウンという品種のエノキタケを使ったなめ茸など一度食べてみたいな〜と思えるラインナップです。

なめ茸の他にぞうすいやおかゆ、ケチャップ、ジュースなど様々な食品を製造しています。

ところで信州で魚肉ソーセージといえば丸善のホモソーセージが一般的なのですが、テーブルランドの丸善食品工業さんとホモソーセージの丸善さんとは別の会社で、ホモソーセージの丸善さんは東京台東区で創業された会社です。丸善さんは東京の会社なのに信州では当たり前のホモソーセージは東京で見たことがありません。一方で信州にあるテーブルランドの丸善食品工業さんの商品はなめ茸やぞうすいなどを見かけます。個人的にちょっとおもしろいと思いました。

homoso.mrz.co.jp

 

なめ茸は信州で誕生した!

大学生の私が「なめ茸って四国のものなのかなあ」と思ったなめ茸ですが、実はなめ茸は信州生まれの食品でした。千曲市にある有限会社小林農園の創業者・小林崇章さんがえのき茸の通年栽培に着手したことから始まって昭和36年にえのきの佃煮を瓶詰めにして「なめ茸」として販売したのが日本で初めてのなめ茸なのだそうです。小林さんはすごい方で昭和34年に世界で初めて「ナメ茸冷房栽培法」を確立し、エノキタケの周年栽培を実現されました。実はなめ茸というのは小林農園のある地域でのエノキタケの呼称だったのだそうです。知らなかった。

小林さんのおかげで信州はエノキタケの生産量ダントツ1位であり、おいしいなめ茸も誕生したんですね。まるでえのきの神様のようだ……。

今度は小林農園さんの元祖なめ茸も食べてみたいです!

www.kobayashinouen.co.jp

 

 

 

ごはんの供は食が進まないときにも忙しくてあまりおかずを作っていられないときにも重宝しますよね。今後も信州生まれのおいしいごはんの供がありましたらご紹介していきます。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

信州諏訪は神在月

こんばんは、ぺんぎん茶々丸です。

早いものですでに10月。今年ももう3ヶ月とちょっとで終わりです。

10月は和風月名で神無月。全国の神様たちが出雲大社に集まるので「各地の神様がお留守になってしまう=神様がない=神無月」という説が一般的です。今頃、出雲は神様たちでぎゅうぎゅうかもしれません。出雲は神在月ですね。

ところで、信州も神無月ではなく神在月だというお話をみなさんはご存知でしたか?

実は私は3年くらい前まで知りませんでした。諏訪では常識だったようなのですが😅

ということで、信州も出雲と同じく神在月なのは10月になっても諏訪に神様がいらっしゃるからなのです。

それはどうしてなのかというとざっくりいうと次のようなお話のようです。

昔々のお話です。10月になっていつも通り全国の神様が出雲大社に集まりました。しかし、待てど暮らせど信州諏訪の龍神様だけがやって来きません。すでに出雲のお社に集まっていたほかの地域の神様たちは

「諏訪の龍神様はどうしたんじゃ?」

とざわめきました。忘れているのかしら?それとも具合が悪いのかしら?と。

すると天井から

「わしはここじゃ!」

と大声が響きました。

神様たちが見上げると巨大な龍の体が天井の梁という梁にぐるぐると巻き付き、諏訪の龍神様は恐ろしい顔で舌をシュルシュルと出し入れしているではありませんか。

「近頃わしはとても勢いがいいので体がでかくなりすぎてしまった。いまも体はこの社を七巻半しているがしっぽはまだ信州の尾掛けの松に掛かっておる」

信州は遠いので龍神様はより力を発揮できる龍の姿のままで出雲へやって来ましたが、尾掛けの松にしっぽが掛かっている間は普通の人間のような姿の神様に変身できないというのです。

「この姿のままみなさんのいるところに降りていこうか」

と諏訪の龍神様は天井から降り始めましたが、ほかの神様たちは大きくて恐ろしい諏訪の龍神様の姿に縮み上がってしまいました。何しろ諏訪の龍神様が一度暴れだすと手に負えないということを知っているのです。そこで神様たちは

「そうだよね、信州は遠いし、そんなに体が大きいんじゃ大変だよね。これからは10月になっても諏訪にいてもいいよ。会議の結果や相談事は私たちが諏訪に行ってお知らせするから大丈夫だよ」

と言いました。諏訪の龍神様もそれはありがたいと翌年からは出雲へ行かなくなったのです。

もうちょっとちゃんとした昔話で読みたい方は下のリンクをどうぞ。こちらのリンクでは文章だけでなく朗読も聞くことができます。

minwanoheya.jp

 

諏訪が神在月なのは、ほかの神様たちから「10月になっても諏訪にいていいよ」と言ってもらえるほど強い力を持った勢いのいい龍神様が諏訪にいらっしゃるからだったのですね。

この龍神様の起源にはふたつの説があります。

ひとつは記紀に書かれている伝説。大国主の国譲りのときに国は渡さないと武御雷と戦って敗れた建御名方が諏訪に追い詰められ、そこで国を譲ることに同意し、自身は諏訪湖から出ないと約束した、というもの。建御名方は諏訪大社の二柱の主祭神のおひとりです(もう一柱は建御名方のお妃の八坂刀売)。

もうひとつは甲賀三郎という若者が龍になったという説。昔、近江国甲賀甲賀三郎という若者がいた。三郎が魔物を退治しに出かけると地面に大きな穴が開いており、中には魔物に捕らわれていた美しいお姫様がいた。三郎はこのお姫様を助けたが、三郎のふたりのお兄さんはその美しい姫を自分のものにしようと三郎を騙して穴の中に落としてしまった。三郎が落ちたところは異国で、さまよいながらやっと出てきたのが信濃の国だった。しかし、無事に帰ってきたものの三郎の姿は巨大な蛇に変わってしまっていた。そんな姿では人々に恐れられてしまうので三郎は塔の下にじっと身を隠していた。そこにお坊さんに姿を変えた神様が来て三郎を人間に戻してくれた。人間となった三郎は助け出したお姫様と再び巡り合うことができ、手を取り合って天竺へと向かった。天竺で神様となった三郎とお姫様は日本へと戻り、信州諏訪の上社、下社にそれぞれ祀られるようになった、というもの。

諏訪明神の起源として一般的に親しまれているのは2つ目の説の方なのだそうです。私が諏訪の神在月を知ったときには建御名方の説の方で知ったんですけどね。

いずれにせよ信州、就中諏訪はそんな強大なパワーを持つ龍神様に護られているということなのです。

ということで、本日も最後までお読みいただきありがとうございました!