どうも、茶々丸です。
みなさんは「レイライン」という言葉を知っていますか?
オカルトや古代史好きな方ならご存じかもしれませんね。古代遺跡はなぜか一直線上に並んでいることが多いとされる例の説です。
今回はこのレイラインが信州にもあった!というお話です。
レイラインとは?
「レイライン(Ley Line)」とは古代の遺跡は直線上に並ぶように建造されたものがあるという仮説で、その直線のことです。1921年にイギリスのアマチュア考古学者のアルフレッド・ワトキンスによって提唱されました。
レイラインは春分の日や秋分の日、夏至や冬至など特定の日の朝日や夕日が射す直線上に並ぶことが多いのですが、ほかにも天体の配置と同じように遺跡が並んでいたりすることもあります。
日本にも千葉県上総一宮玉前神社から出雲大社までの700㎞の直線上に有名な聖地が点在する「ご来光の道」などいくつかのレイラインがあります。
そんな日本のレイラインに我が信州からも仲間入りしたのが「信州レイライン」です。
レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」
日本遺産に認定されたレイライン
信州レイラインがあるのは信州上田・塩田平。
塩田平は上田盆地の西半分に当たります。
白状しますと私はつい最近まで知らなかったのですが、この信州レイラインは2020年9月にレイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」〜龍と生きるまち 信州上田・塩田平〜として日本遺産に認定されていたのですね。
「龍と生きるまち」なんて、かなり中2病心をくすぐられます。
日本遺産というのは文化財そのものが認定対象になるわけではなく、
- 歴史的経緯や地域の風土に根ざし世代を超えて受け継がれている伝承、風習等を踏まえたストーリーであること。
- ストーリーの中核には、地域の魅力として発信する明確なテーマを設定の上、建造物や遺跡・名勝地、祭りなど、地域に根ざして継承・保存がなされている文化財にまつわるものが据えられていること。
- 単に地域の歴史や文化財の価値を解説するだけのものになっていないこと
という条件を満たしたストーリーを認定するものなんですね。
では、信州上田・塩田平のストーリーとは何なのでしょうか?
信州レイラインとは
信州レイラインは日本武尊が開いたとされる信州最古と伝わる別所温泉と「大日如来(太陽)」を安置する信濃国分寺と「国土・大地」を御神体とする生島足島神社を直線上に結んでいる夏至の朝日と冬至の夕日が照らす光の線なのです。
信州レイラインのストーリー
では、日本遺産に認められたストーリーとはどのようなものなのか簡単に説明しますと……
信州の京都とも称されるほど塩田平には寺社が建立されてきた。それは本州で一番雨が降らない穏やかな気候に加え、別所温泉があったことも大きい。別所温泉は僧たちにとって特別な場所「別所」であった。
雨が少ない塩田平では山頂に祀られた九頭龍神を麓の別所温泉までお迎えする雨乞いの祭りが500年以上も続いている。
また、塩田平はため池を造って水を蓄え「塩田三万石」とも呼ばれる上田随一の穀倉地帯に変身したが、時として「アメフラセタンマイナ」と唱えながらお地蔵さんを川へ投げ入れる激しい雨乞いもした。お地蔵さんを怒らせてでも龍(雨)との再会を願っていた。
そしてこのレイラインがある「太陽と大地の聖地」に残したもうひとつのラインが100年前から続く「鉄道・別所線」である。生島足島神社から別所温泉までの軌跡は不思議なことにレイラインと一致する。そして、上空から見るとこの線路は龍の形をしているといわれる。塩田平の人々は龍を特別な神として崇め、龍と生きてきたことを別所線の軌道に投影して大切に残してきた。
というものです。
いや、リーフレットにはもっと感動的な文章で書かれているのでご一読ください。
https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/28203.pdf
ここまで読んでオカルト好きな方は「なーんだ、全然ふつーじゃ〜ん。伝承要素は強いけどオカルト要素ゼロじゃ〜ん」と残念に思われたのではないでしょうか。
レイラインが日本遺産になったことで「そんなオカルト要素を日本遺産に認定していいのか?」と疑問を投げかけた人もいたようですが、そんなに怒るほどオカルト要素はないわけで。
正直にいいますと私もリーフレットを読んだだけでは「上田、頑張ってるなあ」と感じただけだったと思います。不思議大好き茶々丸の心はそれほど満たされなかったといいますか……。
しかし、ここで救世主が現れました。それが「月間ムー」2021年3月号です(笑)。
「ムー」による信州レイライン
いや〜、やっぱりムー先輩は違います。ムーの手にかかるとこの文化庁もケチをつけられない堅実な信州レイラインのストーリーが一気に謎と神秘に包まれます。
ムーでは信濃国分寺や生島足島神社が何時代になぜ建立されたのか時代背景をきっちりと書き、これらの寺社の重要性を抑えることでなぜ信濃国分寺と生島足島神社がレイラインに組み込まれる必然性があったのかをわかりやすく説いています。また、取材により、信濃国分寺から北東へ4㎞ほどの場所のレイライン上に「大日孁(おおひるめ)神社」という鎮守があることまで突き止めています。大日孁は天照大神の別称であり、この神社も太陽神を祀っていることになります。これは偶然とは思えない!というアオリもあって、読んでいてわくわくしますよ。
また、上田盆地と「太陽の道」のリンクを傍証するものはまだほかにもあるとして7世紀の終わり頃に天武天皇が上田への遷都を計画していたことを例に挙げています。実現しなかったものの天武天皇が上田を遷都候補地にしたのはこの一帯が太陽信仰が盛んな土地だったから、天照大神の子孫である天皇が住まうのに相応しい聖地と考えられたからではないか?というのです。
また、諏訪大社に祀られる建御名方神(たけみなかたのかみ)が現在の諏訪市にたどり着く前に短期間であるが滞在した元諏訪が上田であり、上田には諏訪にちなんだ地名が多いのだといいます。そのため上田は「古諏訪」と呼ばれることもあるのだとか。その建御名方神が滞在したのがレイライン上にある生島足島神社なのです。
信州レイラインをもっとオカルト的に捉えたいという方は、ぜひぜひムー3月号をお読みいただきたです。
そして、日本遺産の信州レイラインに惹かれた方も、ムー説の信州レイラインに惹かれた方も、コロナが落ち着いたらぜひ信州レイラインを訪れてほしいと思います。
私も松本から軽井沢に車で行くときに生島足島神社の横を通り過ぎていましたがまさかこれほど興味深い場所だとは思っていなかったので、今度は車を降りて信州レイラインの神秘を味わってみたいと思います。
ということで、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。