皆さまごきげんよう。
ぺんぎん堂の妖精茶々丸にございます。
今日は、6月に訪ねた奥裾花峡谷のお話を致しましょう。
何故、奥裾花渓谷まで行ったのか。
それは、こちらの奥裾花大橋を渡る為にございます。
そう。
ただ、それだけの理由なのです。
アーチ状の欄干が見事でございましょう。
緑豊かな自然の中で堂々たる存在感を示しております。
こちらの橋は一方通行になっておりまして、対面する反対道路はここから見える緑豊かな山の中を通っているのです。
もちろん、この橋を渡りますと、奥裾花自然園がございまして、ハイシーズンには多くの方が訪れたことでございましょう。
茶々丸調べなので、植物の名が違うておりましたらお教えくださいませね。
豊かな緑の濃淡がお分かり頂けますでしょうか?
吸い込まれそうな青空に、ひときわ映える緑と橋のコントラストを堪能致しました。
緑も見事なのですが、雲の表情の違いがお分かりいただけますか?
信州出身の新海誠監督の描く雲がすごいと評価されていますが、山の中に住んでいるので、いつもこんな風に雲が見えるんですよね。
手前に見える緑色の湖は、奥裾花ダムの作るダム湖です。
緑色にもこんなに種類があるのだとしみじみと感じ入った次第です。
さて、こちらの奥裾花大橋のたもとには、歌碑がございまして。
「浦見(うらみ)の山」の歌碑というそうです。
たづねばや 心のすゑは しらずとも
人をうらみの 山のかよひぢ
これは、鎌倉時代、藤原長清が撰集した夫木和歌抄におさめられた、授三位為実の歌です。
「人の心は、どのように変ってゆくかわからない。たとえ行く道が険しく、その先につらく厳しい現実があるとしても、わたしは、つれなくなってしまったあなたの元を訪ねようと思う」
と歌われています。
うらみとは、浦見と書いて信濃の事を示すと言います。
鬼無里から越後に抜ける時に右側に見える戸隠山を見て歌われたのではないかと言うことです。
なんとなく、”恨み”か?ななどと想像してしまうのは、かつて鬼女紅葉がこの辺りに住もうていたからやも知れませぬ。
奥裾花大橋に向かうときに、内裏屋敷と名付けられた古い民家をみましたが、あれが紅葉の屋敷だったのですね。
■鬼女紅葉(きじょもみじ)
今から千年ほど前のこと、会津の伴笹丸・菊世夫婦は第六天の魔王に祈って娘呉葉(くれは)を授かりました。娘が才色備えた美しい女性に成長したとき、一家は都に上って小店を開き、呉葉は紅葉(もみじ)と名を変えて琴の指南を始めました。
ある日、紅葉の琴の音に足をとめた源経基公の御台所は、紅葉を屋敷に召して侍女といたしました。紅葉の美しさは、経基公の耳にも届き、公は紅葉を召して夜を共にしました。
経基公の子を宿した紅葉は、公の寵愛を自分のものだけにしようと、邪法をつかい御台所を呪い殺そうと謀りました。
しかし比叡山大行満津師の法力で企みが露出し、紅葉は捕えられ、経基公は生まれ来る子を哀れんで、罪を減じて彼女を信濃戸隠へ流しました。
信濃に至り、川をさかのぼると、根上り(ねあがり)の山里に出ました。「我は都のもの。御台所の嫉妬で追放の憂き目にあいなった」と語る麗人を、純朴な里人は哀れみ、内裏屋敷を建てて住まわせました。紅葉は喜び、里人が病に苦しむと占いや加持祈祷をもって病を治してあげたのでした。
紅葉は、付近の里に東京(ひがしきょう)、西京(にしきょう)、二条、三条、四条、五条などの名をつけて都を偲んでおりましが、月満ちて玉のような子を産むと、一目経基公に見せたい思いにかられました。そして、兵を集め、力ずくで都へ上ろうと考えました。
そこで、良く尽してくれた根上りの里人には「経基公より迎えが参ったので京にもどります」と言いおき、戸隠の荒倉山の岩屋に移ると、戸隠山中の山賊を配下にし、村々を襲わせて軍資金を集めました。
その悪事が冷泉天皇の知るところとなり、天皇は平維茂(たいらのこれもち)に紅葉討伐を命じました。
維茂軍は山賊どもを打ち破り、紅葉の岩屋へ押し寄せますが、紅葉が妖術をつかうと、たちまち道に迷いました。妖術を破るには神仏の力にすがるよりほかないと維茂は悟り、別所温泉北向観音堂に籠って満願の日に一振りの宝剣を授かりました。意気あがる維茂軍を、またも紅葉は妖術で退けようとしましたが、
術が利きません。やむなく雲に飛乗って逃げ出ました。
このときに、維茂が宝剣を大弓につがえて放つと、紅葉の胸に刺さり、紅葉は地面に落ちて息絶えました。
享年33歳と伝わります。
維茂は水無瀬(みなせ)の厳上に一堂を建立し、紅葉の持仏の地蔵尊を祀り、五輪塔を建てて「釜石紅葉大禅尼」の法名をおくり紅葉の菩提を弔いました。
と、あります。
紅葉もきっと、この奥深い緑の中で静かに時を過ごしていたのだろうと思うと同時に、やはり京の都が恋しかったのだろうなと思いつつ、何時までも何時までも佇んで、虫の音と緑を楽しみたい場所です。
さて、名残惜しくも家路につかねばなりませぬ。
遠く見える北アルプスの麓が、わが故郷なので、これからまた、ひと峠ふた峠ほど越えねばなりませぬ。
そこで、腹が減っては戦は出来ぬ。
妖精とて何か食したいときもあるもので。
鬼無里の「旅の駅」と銘打たれたお店「そば処鬼無里」で、十割そばを頂きました。
地元のお母さんたちが打つ手打ちそば。
十割そばは、のど越しがどうかと思いましたが、そばの香りもよくのど越しも滑らかで。
蕎麦湯まで頂けて至福のひと時でございました。
地元のお母さん方が心を込めてつくる素朴な十割そば屋。奥裾花ダムにちなんだ「ダムカレー」も人気です。各種えごま商品のお土産も揃っています。
上記のHPはお洒落で美しい写真もたくさんあるゆえ、是非ともお訪ね頂きとう願います。
さて、本日はこれにて失礼致しまする。