信州松本ぺんぎん堂

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大王わび農場は八面大王伝説が残る神秘の地だった。

皆さまごきげんよう

信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。

いやあ、春を通り越して、初夏のような雰囲気が漂う安曇野にも、あちこちから春の便りが運ばれてきます。

今日は、久しぶりに、穂高の方までちょっと出かけて来ました。

三郷や豊科穂高に住む小学生は、必ずと言っていいほど、遠足で訪れる地ですよね。

今は、改装などもしていますので、本格オープンは4月16日です。

うん。ワサビ畑しかないんですけどね。それでも、大自然に抱かれて遠く常念岳から北アルプスまで見える場所で、澄んだ水で栽培されるワサビを見るのは、ここしかありませんからね。

大王わさび農場ほど広くなくても、穂高はあちこちにワサビ畑が存在しています。

わさびの生産量の全国計は2,214.0tですが、トップは長野県の808.9tで、シェアでは36.5%となっています。
2位は岩手県で24.4%、3位は静岡県で23.1%のシェアとなっています。この3県がわさび生産の主な産地で、全国生産の約8割を占めています。

ワサビは、綺麗な水が流れていないと、栽培が出来ないんですよね。

しかもワサビを育てる水は、一年を通して10℃ほどを保てる水でなければなりません。

手を突っ込んでみましたが、驚くほど詰めたい訳でもありませんでしたよ。

我が家の水道の水の方が、今は冷たいかもしれません (*´艸`*)

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大王さわび農場

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大王わさび農場

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水車小屋

この綺麗な流れのたもとに、映画界の巨匠「黒澤明」氏が、映画の為に作った水車小屋が残っています。綺麗な流れのたもとに建つ水車小屋は、日本の水辺の原風景な気がします。水車も水の流れに合わせて動いています。

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水仙

綺麗な流れのほとりには水仙も咲き始めています。

いよいよ、春の訪れも本格的になって来たようです。

 

 

 

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ワサビの花

この白い花、可愛いでしょう?これ、ワサビの花なんですよ。

安曇野地方では、このワサビの花や茎も春の訪れとともに頂きます。

ワサビの香りを豊かに残しながら、お浸しのようにして食べます。

私、ワサビが大好きなので、ワサビソフトクリームも頂きましたよ。

 

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スペシャル ワサビソフトクリーム

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ソーシャルディスタンス


思ったより辛くなく、ワサビの風味が楽しめます。

( 座席は、ソーシャルディスタンスを保つために、一つ外してありました。素晴らしいですね。)

 

ところで、この大王わさび農場の名前の元にもなった、八面大王って何ぞや?

八面大王は広く安曇野に伝わる地方豪族のお話ですね。

一部では、盗賊の集団だと言う伝承も残っていますが。

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八面大王

伝説によると、「魏石鬼八面大王」と言う世にも優れた怪力無双の首領が、この「安曇野の地」を治めていました。全国統一を目指す中央政権は、東北を侵略するにあたって、坂上田村麻呂に、先ずは信濃の国を足掛かりに侵攻させます。
強かった八面大王も、流石に中央政権政府が派遣した、兵たちに勝てず、遂には追い詰められ、退治され、余りの強さに蘇らぬことの無いように、身体がバラバラにされ、胴体はわさび農場の一角に。首は、松本市の筑摩神社に埋められたと言われています。

(諸説ありますので、また別の場所で別の話を聞く機会があるかも知れません)

大王の祠などは、復元されわさび農場の中にあります。

 

魏石鬼八面大王は盗賊団だったとか、色々な伝説が残っていますが、今ではこうして、白く咲くワサビの花を愛でながら、心穏やかに過ごしているかもしれませんね。

え?胴体だけでって?(ちょっと怖い)
いやですねえ。魂ですよ。自由になった魂で、わさび田の上を飛んでいるかも知れません。

八面大王も古くは(やめのおおきみ)と読んでいたようですし、魏石鬼も(ぎしき)さんと言う苗字だったのですね。

この魏石ぎしき八面大王やめのおおきみと妻紅葉鬼人もみじきじんの間には真国まくにと言う息子がいたそうですから、何もなかったら、親子で楽しく暮らしていたかもしれませんね。

地方の有力豪族だったのか、ただの荒くれた盗人達の首領だったのか、今では知る由もありませんが、安曇野市も古くから栄えていた土地だったと言う事でしょうか。

その土地土地に伝わる伝承などを見聞きしながら巡る観光も、なかなか面白いですね。