信州松本ぺんぎん堂

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信州小布施町が大好きだ!!

皆さまごきげんよう

信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。

 

松本市に生まれ、今は安曇野市に居住する兎丸ですが、松本市安曇野市も、そんなに観光地って気がしないのですよね。

どことなく統一感もないですし、取り立てて観光客に優しい風でもない。

普通に生活する場所って感じているのです。

 

ところが、信州小布施町は違います。

街並みからもそこに住んでいる人々からも、小布施が大好きで小布施の良さを残したい伝えたいって思いが、じんじんと伝わって来る気がするのです。

何故なんだろう?

小布施町は何が違うんだろう?

 

先ず第一に、街並みが違いますね (^^)b

統一感があって、古き良き時代の日本の良さと近代的な日本の良さが、良く融合されていて、違和感が全く存在しないのです。

 

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自家用車で小布施を訪ねる時は、国道403号線を走って来るのですが、日本の多くの町に見られる大きな広告板やネオンサインの満ちた雑然とした風景は消え、景観が一変するのです。

主要幹線道路国道403号線沿いに、この様な古い門が建っていても全く違和感を感じることがないのです。

 

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脇にはこんな綺麗な水の流れもあるのです。

不思議に思って調べてみたら、古民家や町並みの再生を中心とした「修景事業」と言う考え方の元に、街づくりをしてきたからなんですね。

東京理科大学教授で小布施町まちづくり研究所所長の川向正人氏は著書の中で、「修景」について、「伝統的な町並みに固執しすぎない。とはいえ、町の歴史を全く無視した再開発でもない。今あるもの、そこに暮らす人々の思いを大切にしながら、少しずつ景観を修復して、町を作っていく」と書いている。

景観を整えるために、ときには建物を曳(ひ)いて移動したり、解体して移築、さらには新築もする。家の向きや高さなどを変えることもある。変更・修正が何度でも行われるのが修景だ。

建物の配置、形態、向き、高さなどを歴史上のある状態に復原保存し、その後は変更されることのない「町並み保存」と決定的に違う点だ。

なるほど。「修景事業」とは聞きなれない言葉ですが、変更・修正が可能な街並みづくりと言うのは、自由度は高いけれども統一感を保つためには、実に合理的な考え方ですね。

そして小布施の街づくりには、当地の老舗である200年の歴史を誇る桜井甘精堂さんや、桝一市村酒造場だった小布施堂さんのような商家が大きく貢献しているのですね。

小布施堂を経営する市村家は、小布施町の町長さんも排出していらっしゃる。

そして、かの葛飾北斎を小布施に招いた高山鴻山のお血筋でもある。

なるほど、街づくりに大きく貢献する家風が脈々と受け継がれているのですね。

鴻山の事業は陽明学の教えに従い、自らの信じる知識や良心に基づいて実践し、世の中を収めて人民の苦しみを救い導こうとするものだった。社会福祉事業家そのものだ。市村家のこれが家風とも言える。

高井鴻山記念館の建物も、当時のまま残されていて風情があって良かったです。

高井鴻山が北斎の影響で描いた妖怪画はなかなかのものでした。

 

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高井鴻山記念館

www.town.obuse.nagano.jp

 

www.nippon.com
小布施町の凄いところは、行政頼みではなく、町民が主体となって街づくりに参加しているところでしょう。

平成の大合併と言われ、近隣の市町村が合併を選択する中で、小布施町は合併を選択しない「自立宣言」を採択していますね。

子供の頃に余り聞きなれない地であった小布施町の名を、最近よく耳にするようになったのは、小布施町の人々が模索し続けた「町の在り方」が、これからの少子高齢化時代にも通用する「自治独立」の精神に満ち溢れたものであるからに違いありません。

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ちょっと堅苦しい話ばかりになってしまったので、次回は小布施の美味しいスイーツについて触れたいと思います。