信州松本ぺんぎん堂

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祝・優勝 御嶽海関と雷電為右衛門

こんばんは、ぺんぎん茶々丸です。

23日、木曽郡上松町出身の力士、御嶽海が大相撲初場所千秋楽で13場所ぶり3度目の優勝を果たしました!これで信州出身の力士として実に227年ぶりの大関昇進を確実にしました。本当におめでとうございます!

では、227年前の信州出身の大関は誰だったかというと、ご存じの方が多いと思いますが、小諸藩大石村(現東御市)出身の雷電為右衛門です。

一体、雷電とはどんなお相撲さんだったのでしょうか?

 

 

雷電為右衛門とは

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勝川春亭画 雷電為右衛門

雷電為右衛門は明和4年(1767)1月、信濃国小県郡大石村で関家の長男として生まれました。幼名を太郎吉といい、幼い頃から体格に恵まれ14歳の頃にはすでに6尺(約181センチ)の長身であったといいます。江戸時代の男性の身長はおおむね155〜158センチだったと推定されているので、ずば抜けて大きかったことがわかります。なんでも父の半右衛門さんが小柄だったので母のけんさんが田中宿の仁王尊に「大きな男の子をお授けください」とお願いして生まれたのが太郎吉だったといいます。

少年の頃から力持ちで、お母さんが庭でお風呂に入っていたところ激しい夕立が来たのでお母さんを風呂桶ごと持ち上げて家の土間に運び込んだとか、碓氷峠で馬を引いていたところ加賀百万石の殿様の行列に出会ってしまったため、狭い山道で行列を通すために馬の脚を持って目の高さよりも上に持ち上げたなどの怪力伝説も残っています。

向学心も高かった太郎吉少年は千曲川の対岸の上原源五右衛門という庄屋さんが開く寺子屋に居候して学問と相撲を学んでいたようです。そこに江戸相撲の浦風林右衛門一行が地方巡業で訪れ、太郎吉をスカウトしたとのこと。雷電為右衛門の誕生です。

 

雷電は寛政2年(1790)に優勝。寛政7年(1795)に大関に昇進し、以来16年27場所の長きにわたり大関の地位を保持し、9割6分2厘という古今最高の勝率を上げました。

そんな雷電は強すぎるあまり禁じられていた技が3つあったそうです。それは「張り手」「かんぬき」「つっぱり」で、これを使うと相手に必ず怪我をさせてしまうという理由から禁じられたのだとか。どれだけ強いんだ、雷電為右衛門。

 

お相撲を辞めたあとの雷電

私も小さな頃から雷電為右衛門という強いお相撲さんがいたということは知っていましたが、いた、ということだけでお相撲さんをやめたあとはどうしたのかということまでは考えたことがありませんでした。けれど、もしも故郷に帰ってきていたのなら長野県内でもっともっと雷電のことが言い伝えられていたのではとも思っていました。今回、雷電のことを調べてみると、実は雷電は随分遠くで亡くなっていたことがわかりました。

 

雷電は文化8年(1811)に引退。実に20年以上も力士として活躍していたんですね。

山陰地方の松江藩の殿様・松平治郷(不昧)は雷電の技と学徳が傑出していることを大いに買って天明8年(1825)、松江藩に召し抱え、八石三人扶持を与えました。雷電は生涯自ら雲州関為右衛門と名乗り、松江藩相撲頭取を勤め上げたそうです。ちなみに雲州は松江藩の別称です。

文政8年(1825)、59歳で亡くなると松江藩内の松平家累代の霊廟の一隅にお墓が作られたそうです。どれだけ松江藩雷電を大事にしてくれていたかがわかりますね。

また、遺骨の一部は分骨され、故郷の大石村の関家のお墓にも埋葬されたということなので、故郷にも帰ってこられたようです。よかった。

 

雷電がモチーフの商品

郷土の英雄・雷電は現代でも信州人の心を掴んでいるのでしょうか?

そこで雷電をモチーフにした商品はないか探してみました。

すると1996年、東御市で創業したオラホビールさんが「雷電カンヌキIPA」「ピエール・ド雷電季節仕込みビール」を販売していました。

 

 

 

格好いいデザインの缶ですね!部屋に飾っておきたいくらいです。

 

ちなみに私は長野県では昔から知られている「力士餅」という最中はもしかしたら東御市にあるお菓子屋さんで作っているのでは!?と予想しましたが大はずれ。

「力士餅」は下伊那郡豊丘村にある天恵製菓さんの商品でした。東御市とはかなり離れていますね。

けれど、最中の中にお餅が入った「力士餅」、かなりおいしいのでオススメです。

 

 

がんばれ!!御嶽海関

関太郎吉くん(雷電為右衛門)誕生から225年後の1992年12月25日(クリスマス!)に木曽郡上松町に生まれたのが大道久司くん(御嶽海関)です。御嶽海関も身長180センチ。雷電とほぼ同じです。

そして雷電大関になってから227年後、御嶽海関の大関昇進が確実になりました。雷電から御嶽海の間のおよそ220年の間にお相撲さんがいたのかどうか私は知らないのですが、信州的には220年以上かかっての吉報です。

雷電は21年間の土俵生活で10敗しかしていないそうですが、御嶽海関は「1年間で10回だけ負ける大関でもいいのかな」と信濃毎日新聞のインタビューで答えています。

2018年の7月場所で初優勝して以来、大関取りのプレッシャーを感じ続けていたと思いますが、悔しい思いをしてきた分、これからも気持ちのいいお相撲を取っていただければと思います。長野県民も御嶽海ファンもみな怪我のないことだけを祈っていると思います。大関になってからも怪我には気をつけていいお相撲を見せてほしいですね。信州松本ぺんぎん堂は御嶽海関を応援しています。

 

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本日も最後までお読みいただきありがとうございました。