信州松本ぺんぎん堂

信州にまつわる情報を愛を持って発信しています!

ぺんぎん兎丸さんのタロット占い 12/12~12/17

皆さまごきげんよう

信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。

ご無沙汰しております。

体調不良の為、長いこと寝込んでおりました。

 

ところで皆さまは、いかがお過ごしでしょうか?

本日も来週の運勢を占いましょう。

今週も天と地と数多の精霊に祈り

浄霊をしてタロット占いを致しました。

当たるも八卦当たらぬも八卦とは申しますが

皆さまがよりよく生きるための参考になれればと思います。

現在は、大アルカナ22枚のみで占いをしております。

 

 

3枚のカードがあります。

直感で構いません。

どれか一枚を選んでください。

宜しいですか?

 

 

 

 

 

1枚目 左端のカード

ll The High Priestess 女教皇のカードです。

 

ll The High Priestess

 

今回は逆位置なので、逆位置での意味を紐解きましょう。

 

今のあなたは、少々疑心暗鬼に陥っているかも知れません。

信じたいけれど信じられない何かが、あなたの周りで起きていませんか。

その為に、あなたは冷酷で無慈悲な態度を、知らず知らずの間に取っているかも知れません。ヒステリックな態度は禁物ですよ。

何があっても批判するだけのような事はやめましょう。

あなたの心が柔らかくなり、人にやさしく接するようになれば、自然に疑心暗鬼な出来事も解決するはずです。

 

 

 

2枚目 真ん中のカード

XX Judgment 審判のカードです。

XX Judgment

 

来週のあなたは、運が開けるようです。

今まで辛い思いをしていた人は、地位が好転するようです。

良い知らせが舞い込むこともあるでしょう。

物事を成し遂げる喜びを手にするために、決断が必要になることもあるようです。

 

 

 

 

3枚目 右端のカード

V The Hierophant 法王のカードです。

 

来週のあなたは、孤立無援の状況に陥りそうです。

自分の事だけ考えて、他者の意見に耳を傾けられなくなっていませんか?

本来、法王のカードは厳正と慈悲を表すカードです。

例え、他人に優しくしても、冷たくされたとしても、それはあなたのせいではありません。

あなたは、本来、心優しい人なのです。

誰かのアドバイスも聞ける器量をお持ちのはず。

来週一週間、うまく切り抜けてくださいね。

 

 

さて、今週の結果は如何でしたでしょうか。

 

心持ち一つで、マイナスなこともプラスに変換できますから。

良いことも悪いことも表裏一体なのです。

常にポジティブな心で生きていかれると、良いことが引き寄せられると思います。

笑う門には福来たると言うのも、真理を突いているのかも知れませんね。

 

 

                                   兎丸拝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開運堂本店内 喫茶スペース 「千豆(せんず)」

どうも皆さまこんばんはー。

solidblue1126 こと蒼月です。兎丸さんがねちょっと身体の具合が悪くて、ブログ書けないってんで、私蒼月が、ピンチヒッターで登場です。

 

今日は、松本の老舗に新しくできた喫茶コーナー

「千豆(せんず)」を紹介しちゃいます。

 

開運堂は

 

弊社は明治17年(1884)呉服商から菓子業に転じて百三十余年、菓業一筋に歩んでまいりました。
乾燥する大陸的な気候の信州・松本は、何かにつけ茶菓を口にする習慣があり、永年厳しい批判の元、必然的に安くて美味しい菓子創りに努め、全国に知られた松本菓子を創り上げてきました。
お菓子は地方文化の象徴と言われています。
京にも江戸にも影響されず、豊かな信州の風土と人情に育てられた独特の味わいを守り育てることが開運堂の使命であると肝に命じております。

開運堂 代表渡渡邉公志郎

元は呉服屋さんだったんですね。

開運堂は、今では松本を代表する和菓子店です。

湧き水が豊富な松本地方は、お水が美味しく、和菓子や洋菓子が作れるんです。

なんといってもお水が大切ですからね。

 

開運堂は、伝統を大切にしつつ常に新しいことに挑戦しているお店です。

和菓子だけでなく、”パリの5月”というケーキ屋さんもオープンさせました。

 

今回はそれだけじゃなく「開運堂本店内 喫茶スペース 千豆」までオープンしてしまったんですよ。

老舗本店のちょっとしたスペースにある喫茶コーナーは、大変お洒落です。

メニューや季節限定のお菓子などは、下のリンクからどうぞ。

www.kaiundo.co.jp

 

私が注文したのは、プチガトーと小豆水コーヒー。

 

プチガトー

プチガトーセット

 

 

小豆水コーヒーはHOT限定なのですが、小豆の煮汁で入れるコーヒーです。

そんなに小豆っぽくなく、小豆の豆の味がほんのり香っておいしかったです。

 

このプチガトーセットは、

栄養価の高い小豆の煮汁を使って淹れるコーヒーと、開運堂の代表銘菓「真味糖」をアレンジした
オリジナルプチガトーです。

和菓子である真味糖は、固いんですけれども、このプチガトーに使われている真味糖は、柔らかくて、まるでヌガーみたいなんです。

大正中期に考案された鬼胡桃と蜂蜜などを用いた、抹茶と好相性の上品で優しい食感。

確かに、クルミがアクセントになっていて、コーヒーに会う上品なお菓子です。

昭和初期に松本で開かれた茶会で茶席菓子に最適と、裏千家淡々斎宗匠より「真味糖」と命名していただきました。以来、信州を代表する格式ある銘菓として広く知られています。

亡き父も真味糖が大好きでした。食べさせてあげたかったなあ。

 

残念なことに、店頭では売ってないのですよ。

皆さまぜひ、松本にお越しの際は、開運堂本店お立ち寄りくださいね。



蒼月記

 

 

 

 

 

 

 

信州人のおなまえ!

こんばんは、茶々丸です。

信越放送「ずくだせテレビ」信州人のお名前という特集をやるとTwitterで見かけて「見たい!」とつぶやいたのが今年の1月。ツイ友のSさまがそれを見て録画して迅速に送ってくださったのですが……これはいいな、いつかブログにしようと思ったものの、あっという間に時は過ぎ去り……早12月です。もう今年も終わろうとしています。このネタも熟成させ過ぎてもうチーズとか味噌とかお酒とかになっちゃっているかもしれませんが、せっかくなので今更ながら記事にしたいと思います(汗)。

ということで今回のタイトルもどこかで聞いたような(パクったような)ものとなっております(笑)。

sbc21.co.jp

 

 

信州で多い苗字BEST10!

「ずくテレ」でこの特集の放送があったのは2022年1月25日(汗)。

信州人の名字TOP10と松本市で一番多い名字を発表しておりました。

番組内で発表された信州人名字ランキングは名字研究科・森岡浩さんが作成したものということで以下のようになっていました。

信州の学校ならばクラスにひとりはいる名字ばかりです。

松本生まれ松本育ちの茶々丸の実感で言うと、8位の高橋さんは小学校〜高校まではいなかった気がします。高橋という名字の方と直接知り合いになったのは大学生になってからだったので、あまり信州に多い名字という印象はありませんでした。東京に出てきてから高橋という名字の知り合いが爆発的に増え、現在はiPhoneの連絡先に高橋さんが5名登録されているという状態になりました。それもそのはず、高橋さんは全国で3番めに多い名字だそうです。

 

長野県の名字TOP10でみごと1位に輝いた小林さんですが、小林が1位になるのも長野県だけなのだそうです。

柳澤さんは同じクラスにはいなかったけれども小学校の同じ学年にひとりいました。小林さん、丸山さん、宮沢さんはクラスに2名いましたね。

私の印象としては小学校〜高校を通じて他にも多いな〜と思う(クラスや学年に複数いる)名字がありまして、それが「上条(上條)」「高山」「斎藤」「花岡」「赤羽(あかはね。あかばねではない)」などです。ほかにもいろいろありますが、上げていくときりがないので(^o^;)

 

松本市でもっとも多い名字

番組では松本市で一番多い名字というものも紹介していました。

みなさん、何だと思います?

実は私、これはわかっちゃったんですよ。何しろクラスにも学年にもたくさんいたので。

その名字とは百瀬さんです。

百瀬姓の多さは県内全体では37位。全国では1019位で約17700人。

その全国におよそ17700人いる百瀬さんのうちの約8500人を長野県が占め、松本市にはその半数以上の約4900人おられるそうです。もはや異常な多さと言ってもいいかもしれません。そりゃあクラスに2人や3人いて当然ですね。

なぜ百瀬という名字が松本市で一番多いのか島田秀平さんがレポートしていましたが、長野市出身である島田さんの「百瀬」というアクセントがちょっと気持ち悪かったです(笑)。長野県出身者以外の人が「諏訪」「塩尻」というときの気持ち悪さと同じです。島田さんは百瀬の最初の「も」を強くしていたのですが、松本市ではもっと全体的に平らな感じで呼びます。まさか同じ県内でそんな違いがあるとは思いませんでしたが、さすがはだだっ広い信州です。

さて、どうして松本市で百瀬姓が一番多いのか、その謎を探るために島田さんは市内の寿百瀬という地区に向かい、地元の歴史に詳しい方にお話を聞いていました。

寿百瀬にあったのが百瀬陣屋という1671年に諏訪高島藩主の忠晴が分領地に置いた陣屋でした。陣屋というと参勤交代のときにお泊りする施設みたいなイメージがありますが、ここはそういう施設ではなく代官所の役割を果たす場所でした。

この百瀬陣屋の名称もここの「百瀬」という地名から名付けられたのだそうです。

 

 

では地名である百瀬の由来は何か?

郷土史研究家の方のお話によると、このあたりは牛伏川(うしぶせがわ)が元禄3年〜明治29年の200年の間に30回もの大氾濫を起こしており、氾濫が起きたあとは「たくさん(百)」「浅い川(瀬)」ができていたことから「百瀬」と名付けられたとのことです。大氾濫を起こさなくなったのは大正時代に砂防施設である牛伏川フランス式階段工が作られたからだといいます。

ja.wikipedia.org

この百瀬という地名が文献に初めて現れたのが1488年。いまから2500年前の弥生時代にはすでに人が住んでおり田川の水を利用して稲作が行われていたことから、この郷土史研究家の方はもしかしたら百瀬氏という豪族がいて、それが周囲に広がっていったのかもしれないと推測しておられました。百瀬という名字は寿から比較的近い塩尻市岡谷市にも多いことからもそう考えてもいいのでは……ということです。

 

長野県ならではの名字

番組で紹介されていた以外にも長野県ならではの名字があります。

ここからはずくだせテレビを離れた名字のお話です。

 

有賀と宇留賀

長野県ならではの名字のひとつに有賀があります。普通、全国的には「ありが」と読みますが、信州では「あるが」と読みます。松本市の昔の市長さんにも「あるが」さんがおられました。

「あるが」さんに似た名字で「うるが」さんもおられます。漢字で書くと宇留賀。こちらは信濃国安曇郡宇留賀(現東筑摩郡生坂村)発祥の名字とのこと。

あるがさんとうるがさんは似ていますが有賀さんは諏訪郡有賀がルーツの諏訪氏の一族、宇留賀さんは仁科氏の一族のようです。

 

甕(もたい)という難しい漢字の名字もありますが、全国の3分の2の甕は長野県にみられるのだそうです。松本市に多い名字ですが由来はかつて佐久市にあった地名のようです。

けれども私の知っている甕さんはみんな(といっても3名)安曇野の方だったので、ゆかりがある場所が松本市佐久市だと知ってちょっと驚いています。てっきり安曇野に多い名字かと思っていました。

 

信濃三沢

長野県は「沢(澤)」のつく名字が多いのも特徴のようで宮沢(宮澤)」「柳沢(柳澤)」「滝沢」を「信濃三沢」というそうで、信濃三沢は諏訪氏の一族とのこと。そうか〜、そんなに多いのか。どおりで。「柳澤」も「宮澤」も親戚におりますわ。

この信濃三沢の由来は

・宮澤 神社のそばの沢

・柳澤 魚を捕まえる梁を仕掛けた沢

・滝沢 滝のそばの沢という意味と急な崖のそばの沢というふたつの節がある模様

とのことで、信州には河川が多いんだなあ……。

 

ややこしい降旗

降旗は長野県を代表する名字で加賀国降旗荘にルーツがあるとのこと。

「降旗」さんがややこしいのは読み方が「ふるはた」「ふりはた」の二通りあるところ。

私も知り合いにどちらもいて、疲れているとどちらが「ふりはた」でどちらが「ふるはた」なのかわからなくなることがありました。呼び間違えるのは失礼に当たるので気を遣いました(笑)。

 

やんごとなき名字

ずくテレでは長野県のとても珍しい名字として位高さんも紹介していました。

位高とかいて「やごと」と読むのですが、それはまさにやんごとなき身分であったことからだそうです。なんでも阿南町の旧家で、菅原道真の子孫なのだとか。伊那郡の郡司を努め、采女天皇に献じた際に「位高なる宇弥女なり」という勅定があり、位高氏を称したとのこと。

私の知り合いにも南信出身の「位高」さんがおられましたが、その方は「やごと」ではなく「いたか」という読みでした。由来が「やごと」さんと同じなのかどうかわかりません。

 

長野県の有名人の名字

長野県出身で全国的に知られている藤森慎吾さん藤森諏訪市で最も多い名字です。藤森慎吾さんも諏訪市出身ですもんね。由来がとてもかっこよくて、諏訪明神の投げた富士の枝が根付いたところから岡谷市に藤島明神が祀られ、その森にちなんでできたのだそうです。

今年、現役生活にピリオドを打ったスピードスケートの小平奈緒さん小平も長野県に多い名字で全国のおよそ3分の1は長野県に見られ、東信や南信に多いようです。小平奈緒さんも南信の諏訪のご出身です。

「天気の子」「すずめの戸締まり」で知られるアニメーション監督の新海誠さん新海も佐久地方の名字です。監督も南佐久具小海町のご出身ですからまさに新海中の新海、KING of 新海ですね。橘諸兄の子孫で村上天皇から新海の名字を賜ったという説もあるようです。

 

ということで、ここまで楽しんでいただけたでしょうか?

名字っておもしろくて調べ始めると止まらなくなってしまいますね。そりゃNHKの「日本人のおなまえ」が人気番組なるわけです。

今回はこのへんにいたしまして、「ずくだせテレビ」では海のない長野県にある海のつく地名についても調べておりましたので、次回、当ブログでも信州の地名について書いていきたいと思います。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

貞享義民記念館ってどんなところ?

こんばんは、ぺんぎん茶々丸です。

本日はNHKブラタモリで「安曇野」を取り上げていました。

本来ならばそれについて書きたいところですが、わたくし、オンエア日だということをすっかり忘れておりまして💧

同じ安曇野で、というわけではありませんが、先日市民タイムスWEB安曇野市にある貞享義民記念館が会館30周年を迎えたという記事を読みました。そこで今回はこの貞享義民記念館と貞享騒動と呼ばれる百姓一揆、そして貞享義民たちを指揮した元庄屋の多田加助について書いていきます。

 

www.shimintimes.co.jp

www.nagano-museum.com

 

 

貞享義民記念館とは

安曇野・松本地域以外の方は貞享義民記念館と聞いてもピンとこないと思います。

貞享義民記念館とは江戸時代の貞享3年(1686)に松本藩で発生した百姓一揆「貞享騒動」の資料を展示するとともに、この一揆を主導した元庄屋の多田加助を顕彰している展示館です。

私もオープン当初に見学に行き、立体映像で「貞享義民物語」という映画を見て暗〜い気持ちになって帰ってきました。

ただ、わたくし、貞享騒動にだけ焦点を当てたこの大変ニッチな記念館が結構好きなんですよ。まだコロナが大騒動になる前の2019年の1月に、およそ30年ぶりにひとりでぶらぶらと行きました。今回はそのときの感想なども書き綴っていきたいと思います。

貞享義民記念館

貞享義民記念館、それはそれは寒い信州でもとびきり寒いところでございました(笑)。

なんといってもこのときのお客さんは私だけ。暖房は全館暖房ではなくロビーの吹き抜けに設置されたストーブのみ!しかしこれは記念館が悪いわけではく、安曇野や松本はどの建物に入っても大抵寒いです。エコが叫ばれる何十年も前から冷暖房を極力使わない県民性です。松本に住んでいるときに我が家もそうだったしご近所も友だちの家も省エネだったし、デパートも公共施設もそれほど冷暖房を効かせません。冬、信州に遊びに行く方は室内でも暖かく過ごせる服装を選ぶのがいいと思います。

そして、これは絶対にお伝えしておいた方がいいと思いますが、トイレ、寒いです。っていうか、座った途端に変な声が出そうなくらい便座が冷たいです。屋外に置いてある石にパンツを脱いだ生のおしりで腰掛けるくらいの覚悟が必要です。心臓の弱い方やご高齢の方は特に気をつけてくださいね。松本駅改札内のトイレも同じですけども。心臓を驚かせないためにも便座に座るときに「さあ、これから冷たい便座に座るぞ!」と体に言い聞かせてから座るとよろしいかと思います。

けれども、記念館内はとてもとても寒かったですが、学芸員さんはとても親切でした。たったひとりの見学者である私のためにミニシアターで貞享義民物語を上映してくださったり、いい頃合いを見計らって声をかけて説明してくださったりと心はとても温まりました。

 

この記念館がなぜ作られたのか、ホームページによりますと

当館は今から300年以上の昔、この地中萱村(現安曇野市郷中萱)の元庄屋、多田加助を中心とし、松本藩領の多数の百姓が参加した大規模な百姓一揆(貞享騒動あるいは加助騒動と呼ばれます)を顕彰して建てられたものです。当館ではこの百姓一揆(騒動)を「生きる権利の獲得のためのたたかい」であったととらえ、人権尊重の社会の建設へ向けた先駆であったと考えています。館内では物語「貞享義民物語」を上映、騒動に関わる資料の展示を行っています。

ということで、この一揆を人権尊重の社会を築くための先駆けとして後世に伝えていこうと設立されようです。

 

アクセス

  • JR大糸線中萱駅から徒歩でおよそ10分
  • 車の場合は長野自動車道安曇野インターから15分
  • 松本インターからでも20分

大糸線はそれほど本数が多くないので車で行くことをオススメします。まっ、私はトコトコ電車で行きましたけどねっ。

 

 

貞享騒動とは

信濃国百姓一揆の発生数が全国でもトップクラスでした。江戸時代のおよそ260年の間に200件以上も起きています。多発した要因として山間地で痩せた土地が多いこと、冷害の多い風土、藩から重税を課されたことなどが考えられると思います。それに加えて昔の信州人は気骨があったらしく、自分たちの権利を主張して立ち上がる人が多かったようです。

それら一揆のうちのひとつが貞享3年に発生した貞享騒動です。

その年、安曇平は例年に比べて不作だったにもかかわらず、松本藩は年貢1俵あたりの容量を3斗から3斗5升に引き上げることを決定しました。松本藩周辺の藩の基準は2斗5升であり、それらの藩に比べると1.4倍以上の重税です。しかも、俵に詰める米はそれまでノギ(お米を包む殻の先端から伸びているヒゲ)もコミだったのに、それも取り除くよう命じました。ただでさえ忙しい脱穀と俵詰めの間にノギを取り除くのも重労働。農民の不満は溜まる一方です。

そこで中萱村の元庄屋・多田加助を中心とした11名は密かに熊野神社に集まって苦境を開くための策を練り、直接郡奉行に1俵あたり2斗5升にしてほしいなど5つの要望を書いた「5か条の訴状」を提出することに決めました。しかし、当時、お奉行様に直訴する行為は「越訴(おっそ)」といわれるご法度です。それでも加助を中心とした百姓たちは10月14日に訴状を持って松本城下の奉行所へ向かうことにしたのです。

5か条の訴状内容(ざっくり)

  1. ノギを取り除くのはやめてほしい 当年は不作がちで年貢籾の半分もないほど百姓が難儀しているのに、当年からノギを取り除いて収納せよとはなんとも迷惑なことです。
  2. 籾1俵2斗5升摺りにしてほしい 先年は1俵につき米2斗5升で納めてきましたが、3斗挽きに改められたので仕方なくそうしてきたけれど、当年は3斗4〜5升挽きで治めよと言われました。1国のうちでも高遠・諏訪領は今でも2斗5升挽きです。うちの領地でもそうしてほしいです。
  3. 大豆で納める金納分の値段は籾値段分にしてほしい 年貢をお金で納める分の金額を大豆値段にすると高すぎる!
  4. 領外への輸送米の百姓負担はやめてほしい 領外(江戸藩邸)へ米を運ぶときにそれを百姓に負担させるのはやめてほしいです。
  5. 藩の雑役に出る人の給金は藩の負担にしてほしい 藩に奉公に行く人に村の補助金は出さないということになっているのに、この頃は人選も難しい上に藩からの支給金が少ないので仕方なく村で半額補助金を出していますがなんとも迷惑なことです。

 

10月14日当日。この越訴の計画は松本藩内の各組に伝わったため、中萱村以外の周辺の村々から1万ともいわれる百姓が松本城周辺に押し寄せる騒ぎとなりました。鍬などをもって大勢で訴える行為もご法度の「強訴」にあたります。

藩主・水野忠直は参勤交代で不在でしたが10月18日、事態を重く見た城代家老は騒動を収拾すべく加助らの要求を飲むと言って百姓たちを引き取らせました。

そして19日夜、組手代らに年貢を減免するととの回答書を手渡しました。

ところが役人らはその裏で江戸の水野忠直に早馬で注進し、忠直の許可を得た上で回答を反故にし、越訴をした関係者の捕縛にとりかかりました。しかも、役人らは藩主に年貢を引き上げたことなどを正直に伝えずにいままでと同じように年貢を納めるよう命じたのに百姓が一揆を起こしたと虚偽報告をしていたのです。本当になんて卑劣なんでしょうね!嘘の報告を信じた水野忠直は加助ら百姓の極刑を許可したのでした(とはいえ忠直もバブリーな藩主で百姓が苦しんでいるというのに豪遊していたそうだから許せたものではありませんが……)。

 

そして11月22日、多田加助とその一族、同志は刑に処されました。

安曇郡中萱村、楡村、大妻村、氷室村)の者は現在の松本市宮渕に臨時に設けた勢高(せいたか)刑場で、筑摩郡(三溝村、堀米村、浅間村、岡田村、梶海渡村、執田光村)の者は出川の刑場で、磔8名(加助と加助の右腕として動いた楡村の元庄屋小穴善兵衛を含む)、獄門20名の極刑に処されたのでした。

処刑された者の中には小穴善兵衛の16歳の娘・しゅんも含まれていましたが、当時の慣習として女子が処刑されるのは異例のことで、しゅんが馬に乗って近隣の村々との連絡係を努めていたことから男子として処刑されたと見られています。また、善兵衛の処刑後に生まれた赤ん坊まで処刑したという話もあり、残された家族にまで非道な処罰が続きました。

以上が貞享騒動のあらましとなります。

 

農民を守ろうとした藩士・鈴木伊織

貞享騒動のあらましだけをみると「水野家が治めていた松本藩ってなんて卑劣なんだろう」という思いだけが残りますが、加助を助けようとした藩士もいました。

その藩士の名は鈴木伊織。彼は民の暮らしが立つような政治を願っており、農民からも慕われていたと伝わっています。

当時、江戸詰めだった伊織は加助らに極刑を処す許可をもらった松本への使者が江戸を発ったあと、忠直を諌めて処刑の中止を嘆願。赦免状を持って自ら馬を駆って松本へ向かいます。

しかし、松本へ入ったところで馬の脚が折れて転倒、伊織も気を失ってしまい処刑に間に合わなかったと伝えられています。

このとき馬が倒れた場所は「駒町」として地名に残っていますし、伊織の墓所のほど近くに伊織の名を冠した「伊織霊水」という井戸が保存されています。

 

松本城を傾けた多田加助の怨念

水野家から寄贈されたという多田加助の木像

貞享騒動を主導した多田加助はもともと庄屋でしたが貞享騒動の2年前、凶作が続いて困窮する農民を代弁して年貢の軽減を組手代に申し出ますが受け入れられず、松本藩に直接陳情したことにより庄屋の身分を剥奪されていました。貞享騒動の前から農民のために動いていた方なんですね。

幼名を三蔵といい、26歳のときに襲名して加助と改め庄屋役を引き継いだそうです。

幼い頃より学問を好み、一説によると陽明学を修め、言行一致を説いていたそうです。加助の家には松本藩前藩主・松平出羽守直政の家臣・丸山文左衛門が賓客として過ごしており、この文左衛門を師として陽明学などの学問や武芸を修めたようです。文武両道に秀で農に励む人格者だったと伝えられています。

私の祖父の生家も加助さんちの近くにあったようなので、もしかしたら私のご先祖様も加助さんのお世話になっていたのかなと想像することもあります。実際はどうだったのか全くわかりませんが。

 

貞享3年、11月22日。松本城を見下ろす場所にわざわざ臨時に設けられた勢高刑場で加助らは磔刑に処されましたが、このときの伝説が残っています。

磔柱に上げられた加助は集まった大勢の人々に

「これでみんなの年貢が下げられるんだから、わしは安心して死んでいく」

と言いましたが、群衆の中から

「残念ながら約束の紙は加助さんが牢屋に入れられた日に取り上げられて、約束は反故にされた」

という声が上がりました。すると加助は

「年貢は2斗5升!2斗5升じゃああああ!」

と怒りに満ちた声で叫ぶと松本城天守を睨みつけました。すると、その途端、恐ろしい地響きとともに天守が西に傾いた、というのです。

この加助の怒りが松本城を傾けた伝説は松本・安曇野の子どもたちは学校で教えられたものですが、実際は天守台の中の支持柱が腐って傾いたのが真相のようで、加助が城を傾けた伝説は明治時代になって作られたのだとか。傾いた天守閣を直す工事は明治30年代に行われています。

 

加助の祟と囁かれた水野家の末路と自由民権運動

貞享騒動から39年後の享保10年(1725)、忠直の孫である水野家六代目藩主・水野忠恒が乱心して江戸城松の廊下で長府藩の世子・毛利師就に対して刃傷沙汰を起こし、水野家は改易処分となりました。

貞享騒動からおよそ40年も経っていたにもかかわらずこの事件は「加助の祟だ」と恐れられたそうです。どうせ祟るなら孫じゃなくて本人に祟ってほしいところですが、この孫も忠直同様に大層享楽に耽っていたようなので、当時の人たちはそんな藩主へのやりきれない思いもあって加助の祟りだと考えたのかもしれませんね。

水野家に代わって松本藩に入った戸田松平家の時代になってやっと人目を憚らずに加助たちの菩提が弔われるようになり、享保20年(1735)の騒動50年忌には騒動発祥地において法華経2千部読誦の供養が営まれ、寛保元年(1741)には供養塔が建立されました。地元の人たちは命がけでみんなの暮らしを守ろうとした加助を始めとする義民たちへの感謝を50年経っても忘れていなかったのですね。

 

明治10年代になるとこの貞享騒動が自由民権運動を推し進める原動力となり、加助のことを学んだ自由民権家の松沢求策は「民権鑑加助の面影」という劇を作って地元の松本平で上演。住民が国会開設運動を始める下地を作ったといわれています。

 

貞享義民記念館の展示

貞享義民記念館には「貞享義民物語」を立体画像で上映する義民シアター(ミニシアター)があり、これが記念館の目玉だともいえます。

また、展示物には郡奉行からの返答書や事の顛末が書かれた信府統記第28巻の写しなどの文書のほか、処刑場跡や墓所などゆかりの場所の写真、加助像、加助や善兵衛にまつわる品々、当時の農具などがありますが、圧巻なのは展示物に付いている説明文の多さです。展示物の前に書見台が置いてあり、そこに小冊子と呼んでいいほどの説明文が乗っています。私が見学に行ったときには寒すぎてとても全部読んでいられないし、時間もかかるので学芸員さんに許可を得て興味があるものの説明文全ページを写真に撮らせてもらい、東京へ帰るあずさの中で読ませていただくことにしたくらいです。熱意がビンビン伝わりますが、これが書籍になっていたら絶対に買って帰ったのになあと思いました。選んで写真に収めたのですが、本当は全部をじっくり読みたかったのです。

 

義民シアター

上の写真が義民シアターです。写真から伝わるかわかりませんが、ここはとても雰囲気がいいです。加助たちが越訴について話し合った場所か農民の家をイメージして作られているのかもしれず、雰囲気がいいと言っていいのかわかりませんが。ここで影絵のような立体映像で義民たちの物語を見ることができます。胸に迫るものがありなかなか怖いです。上映時間は17分ほどでした。

近年ではコロナの影響もあり来館者数が激減しているそうですが、義民シアターを使って義民や人権にかかわらないものでも上映会やお話会、朗読会を開いて、まずは人々に足を運んでもらい、そこから義民や人権にも興味を持ってもらうという流れにしてもいいかもしれませんね(もうとっくにやっているかもですが)。そうそう、ストーブの置いてあったロビーもなかなか素敵な雰囲気だったのでそこでの朗読会やおはなし会もよさそうです。

 

加助の脇差

加助様絵姿

展示品からは後の世に加助が神仏のように崇められていたことも伺えます。上の写真の加助様絵姿はもう曼荼羅ですよね。この感じだとお仏壇に納められていても驚きません。

小穴善兵衛ゆかりの裃

加助とともに戦った善兵衛ゆかりの裃。加助さんも善兵衛さんもきっと知的で農民思いな庄屋さんだったんでしょうね。

 

貞享騒動については調べれば調べるほどいろいろ考えなければいけないなと思うことが出てきます。なのでまたいずれ加助さんたちについてこのブログで書くことがあるかもしれません。

また機会があれば私も貞享義民記念館へ行ってみたいと思います。みなさんもぜひ一度、見学に行ってみてくださいね。

 

そうそう、この貞享騒動を舞台にした六冬和生(むとうかずき)さんのSF小説松本城起つ」はかなり面白いです。私は大好きな作品です。松本っ子にも安曇っ子にも、そうでない方にもオススメです。このブログを読んでくださったみなさまには貞享騒動の基礎知識がもう頭に入っているはずなので、きっと何も知らずに読む人の有に10倍は楽しめると思います!

 

松本城起つ内容

信州大学経済学部に通う巾上岳雪(はばうえ・たけゆき)は、家庭教師先の女子高校生・矢諸千曲(やもろ・ちくま)に連れられて初めて松本城を訪れた。受験より趣味の松本史跡の見学を優先し、いつまでも模試の結果すら見せようとしない千曲に巾上が腹を立てていたその時、松本城が大きく揺らいだ――1686年の松本藩で目覚めた巾上は、自分が鈴木伊織(すずき・いおり)という藩士として、千曲が松本城に祀られている二十六夜神(にじゅうろくやしん)さまとして存在していることに愕然とする。奇しくもその年、松本藩では貞享騒動という百姓一揆が発生、多数の死者を出していた。状況に戸惑う巾上は、命懸けで年貢減免に挑もうとしている多田加助(ただ・かすけ)ら農民と出会い、その窮状を知るなかで、彼らを救いたいと感じ始める。巾上と千曲は、松本の人々を救うことができるのか? そして現代へ戻ってくることはできるのか――?

 

ということで今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

 

兎丸さんの信濃だより ~秋の小諸城址懐古園~

 兎丸さんの信濃だより ~秋の小諸城址懐古園~

 

皆さまごきげんよう

信州松本ぺんぎん堂安曇野支店ぺんぎん兎丸です。

さて、早いもので、もう11月。

今年もあと一月半で終わりです。

季節の経つのは早いものです。

懐古園に行った日は、大変良いお天気で気持ちが良かったです。

高く広がる青空と爽やかな風。

朝は冷え込みますが、昼間は穏やかな暖かさに包まれます。

 

shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com

 

shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com

 

小諸城址懐古園、私、大好きなのです。

なんでしょうね。

何故か郷愁を感じる場所なのです。

 

明治4年1871年)の廃藩置県で廃城となった小諸城は、その後、小諸藩の元藩士らによって明治政府から買い戻され、大正15年(1926年)には、明治神宮の森や日比谷公園等の植栽設計も手掛けた本多静六により、小諸城址懐古園として近代的な公園に生まれ変わりました。日本さくら名所100選日本の歴史公園100選にも選定されています。
懐古園内や周辺エリアでは、四季折々の美しい情景のなかに小諸城の面影を堪能できるばかりでなく、美術館や記念館、動物園や遊園地もお楽しみいただけます。

なるほど。

庭園の美しさも頷けるというものです。

 

ところで、皆様の地方は、紅葉はもう終わりましたか?

懐古園では、もう少し楽しめそうです。

派手なお祭りではないです。

長閑で、ゆったりとした園内は、紅葉狩りを楽しむのにはぴったりの場所です。

 

懐古園と言えば、いつもお茶屋さんで楽しむおでん。

これが最高なのです。

 

今年は、甘酒もいただきました。

米麴の甘酒は、風味がよく甘さもほどよく非常に美味しかったです。

また、来年のお花見にも食べたりのんだりしたいです。うん。

 

 

へたくそな写真で申し訳ないですが、カメラロールが真っ赤になるほど、紅葉の写真を撮りましたのでお見せしますね。

 

遠くにうっすらと北アルプスが見えます。

あの麓から来たんですよね~。

 

 

小諸城の跡にある、石垣は、松本城とは違います。

野面(のづら)積みというそうで。


自然石をそのまま積み上げる方法である。加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていない。そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点があったが排水性に優れており頑丈である。技術的に初期の石積法で、鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは16世紀の戦国時代のことである。

中には、浅間山の噴石が積まれてできた石垣もありました。

ブ〇タモリで紹介していただけないかしら。

崖の底に小諸城址はあるんですよ。

野面積みの秘密や、なぜ谷底にお城があるのかぜひ知りたいものです。

 

日本唯一といわれる「穴城」の小諸城址。周辺には美術館や記念館、動物園なども整備された、小諸駅から徒歩3分の複合観光スポットです。

www.komoro-tour.jp

 

 

 

もう20日までになってしまいましたが、もう少し紅葉が楽しめそうです。

皆さまも、ゆったりゆっくり、小諸城址の散策など如何でしょうか。

 

兎丸拝

 

 

 

 

 

 

 

信州松本ぺんぎん堂2歳の誕生日と「クレッシェンドで進め」

こんばんは、ぺんぎん茶々丸です。

本日、11月11日で信州松本ぺんぎん堂は2歳になりました。

本来かなり飽き性な私が、お読みになってくださっているみなさまと兎丸さんのお力でなんとか2年間続けてくることができました。本当にありがとうございます。

不定期更新のうえ更新頻度も最近落ち気味なのですが、信州のことを愛を持って発信していきたい気持ちに変わりはありません。どうかこれからも末永くよろしくお願いいたします。

 

御礼のご挨拶だけでは味気ないので本日の記事を書かせていただきます。

いま行っている仕事先に同郷の方がいたのです。その方はとても寡黙な方で、仕事中に私語を一切しない感じでほとんどお話をしたことがありませんでした。それがある日、周囲に誰もいないときにそっと私のそばに来て

「長野県出身って聞いたんだけど、どこ?」

と質問してくれました。

「松本です」

「私も松本」

その方はニッと笑い、そのあと市内のどこよ?という話になり私たちはすっかり打ち解けました。それ以来、周囲に人がいないときに声をかけてくださるようになり、先日は日本テレビの「ZIP!」内朝ドラマで松本が舞台のドラマをやってると教えてくれました。現在放送中のクレッシェンドで進めがそれです。Tverで見られることまで教えてもらいました。

仕事先のこの方の、こっそりと話しかけてくださる感じに松本の人だな〜という懐かしさを覚えます。松本の人ってシャイな人が多いし、仕事中に私語は慎みます的な真面目さも松本市民にありがちな気がします。実は私も仕事でそれほど雑談をしないタイプです。もしかしたら彼女も「茶々丸さんちっとも私に話しかけてこないわ」と思っていたかもしれません。

 

さて、教えてもらった「クレッシェンドで進め」ですが、今日早速Tverをダウンロードして#1だけ視聴しました。懐かしい中町や縄手、松本城の姿を見られただけでも感激です。まだ#1しか見ていないので感想を書けるほどではありませんが、これからお昼ごはんを食べるときに視聴していこうと思います。

ブログを書くにあたってネット検索してみたところ、この作品は宇仁田ゆみさんの漫画が原作なんですね。Wikipediaでざっと見たところ原作の舞台は松本ではないような。けれども、ドラマの舞台に松本が取り上げられるのはとても嬉しいです!

 

ということで、今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

おいしくて元気になれる黒酢

ご無沙汰しております茶々丸です。

今日は皆既月蝕&天王星蝕でしたね😊

みなさんご覧になりましたか?

私は東京の自宅のベランダから見ていました。双眼鏡を使ったものの天王星は見えず。視力3.0くらいないと見えないんじゃないかしら???けれどいまはテレビやネットという便利なものがありますからあとで見てみようと思います。

と、前置きはこのくらいにして、今回はみなさんにおいしくて体にもいい飲み物をご紹介します。それがこちら、養命酒製造黒酢です。

こちらは松本在住Mさまからいただきました。本当にいつもありがたいことです。

あ、写真見てお気づきになってしまいましたか?使いかけだということに。何しろ飲んでしまってから「あっ、信州のいいもの、みなさんにもご紹介しなきゃ!」と思ったものですから😅

本当に失礼しました(_ _;) 

 

これがめっちゃくちゃおいしいんですよ。税込み1598円と結構お高めなんですが、それだけにおいしいし、養命酒ならではの原材料が使われています。

マンゴスチン果皮抽出エキス、クロモジエキス、甜茶エキス末、筋骨草エキスなんて普通黒酢に入ってます?入っていませんよね。それぞれどんな効能があるのでしょうか。

 

マンゴスチン果皮……ポリフェノールの一種であるキサントンが含まれている。キサントンは高い抗酸化力があり活性酸素を抑制する効果が期待される。

クロモジ……抗菌、消炎作用、胃腸の不調やトラブルを緩和する。急性胃腸炎や下痢にも効果が期待される。

甜茶……甜茶ポリフェノールにはアレルギーの原因となるヒスタミンの放出を抑制し、アレルギー症状を抑える効果が期待される。

筋骨草(キンコツソウ)……ホルモンバランスの乱れによる骨の代謝異常を改善し、骨粗鬆症を予防する。骨量の低下を抑える。

 

血糖値の上昇を抑える効果が期待されるという黒酢にプラスして上記のような原材料も入っているとくればこれは元気にならざるを得ない気がします。瓶の中で何年も熟成された本格的な黒酢も魅力ですが、400年もの歴史ある養命酒を手掛ける養命酒酒造にしかできない薬草を配合した黒酢もとても魅力的です。また、以前当ブログでもご紹介しましたが、クロモジには抗ウイルス作用があるのでこれからの時代にクロモジはうってつけです。

shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com

私はもともとお酢やレモネード、レモンスカッシュなどの酸っぱい爽やか系の飲み物が好きなので養命酒製造黒酢も大好物です。お酢を飲むのは夏場のイメージかも知れませんが食欲が増す秋冬こそお酢の出番かもしれませんよ。ちなみに私はお酢を飲み続けるとぽてっとしたおなかが少しスラッとします。私は意志が弱いので食事制限でなくお酢に頼りたい気がします(笑)。

ということで本日も最後までお読みいただきありがとうございました!