信州松本ぺんぎん堂

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松本市の地名は海にちなんでいる?

こんばんは、ぺんぎん茶々丸です。

12月7日の記事で長野県全体や松本市で多い名前などを書きました。

shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com

その記事の最後に「次回、当ブログでも信州の地名について書いていきたいと思います。」などと書いておりました。それからすでに一月が経とうとしています💧

今年の汚れ今年の内に……ではありませんが、今年中にちゃんと決着をしておこうと思いまして大晦日に記事を書き始めた次第です。

 

さて、「ずくだせテレビ」では「海なし県の海の地名の謎」ということで南佐久郡小海町の由来を探っていました。この辺のお話は当ブログでも以前兎丸さんが記事にしてくれておりますのでぜひそちらをお読みいただきたいと思います。

shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com

 

松本市にも海を連想させる地名がたくさんあります。

「蟻ケ崎」「渚」「島立」「島内」「島々」「海渡」「梶海渡」私がぱっとおもいだせるだけでもこれだけあります。小海町は平安時代八ヶ岳の崩落で千曲川がせき止められて湖ができたことから名付けられた災害地名ということですが、松本市もそういう災害地名から海を連想させる地名が付けられたのかというとそうではないようです。

「島立」「島内」などにつく「島」には川沿いの耕作地や陣地(ヤクザ映画で「うちのシマを荒らしやがったな!」などと使われているあの「シマ」です)を表す言葉のようです。じゃあ「島々」ってどんだけ「シマ」なんだよ、という(笑)。というわけで松本市の地名につく「島」は海とは関係ないようです。

じゃあ「渚」や「海渡」はどうなんだよ?と言われますと、ざっと探したところでは由来は出てこなかったのですが、「渚」は奈良井川と田川に挟まれ、その挟まれた土地にも小さな川が何本か流れていることから、やはり水辺であることが由来だと考えられます。「梶海渡」付近にも鎖川という川が流れています。

松本はその昔、深瀬あるいは深志と呼ばれていました。江戸時代に書かれた「信府統記」には「深瀬と云うは其の中に川筋の深い瀬があるところ」であると書かれており、水深き土地であったようです。松本城のあたりも昔は湿地帯だったと聞いたことがあります。

複合扇状地であるため松本市の地下は巨大な水瓶のようになっており、大変おいしく豊かな湧き水の宝庫となっているのです。

そんな水に恵まれた松本に伝わるのが兎丸さんも記事で触れていた「龍の子太郎」伝説です。昔むかし、松本平と安曇平は大きな湖だった。人々がもっと広い土地で農業を営みたいと嘆いていたのを聞いた太郎がお母さんの犀龍と一緒に山清路の巨岩を突き破り、さらに下流の水内の橋の下(信州新町の久米路橋付近)の岩山を突き破り、千曲川の川筋から越後の川まで乗り込んで松本・安曇平に溜まった水を抜く川を通してくれた、というお話です。

龍の子太郎と犀龍のおかげで松本・安曇平ができ、私は無事、松本盆地の真ん中あたりで生を受けることができたのです(笑)。

そうそう、もうお気づきの方もおられると思いますが、松本市を流れる犀川の名前の由来は龍の子太郎のお母さん、犀龍にちなんでいるようです。

私は松本・安曇平が大昔は湖だというのが本当だったらワクワクするなと思ってしまう派なのですが、いまのところその説はあまり肯定されていないようです。

しかし、太古の昔、松本あたりは海の底でした。昭和61年には世界でも2例目となるマッコウクジラの全身骨格が見つかったのも現在は松本市と合併した四賀村でした。

海から遠い松本市ですがこれだけ海と深い関わりがあるのです。

 

ということで最後までお読みいただきありがとうございました。

また、今年も大変お世話になりました。来年も何卒よろしくお願いいたします。