お久しぶりです。
蒼月です。
昨日、松本市のあめ市に行ってきたのでご報告をば。
あめ市と言えば、ご店主さまも度々記事にしておられるほど。
松本市民にとっては大切な行事なのです。
当日の混雑具合もなかなかのものでした。
shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com
shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com
実はあめ市はとても歴史のある行事です。
いまからおよそ440年ほど前に開かれていた「塩市」が起源といわれています。そういえば子どもの頃あめ市のことをお年寄りが「塩市」と言っていたのを記憶しています。
海のない信州松本でどうして塩市かといいますと、その淵源は戦国時代にさかのぼります。
甲斐の武田晴信(信玄)と越後の長尾景虎(上杉謙信)が信濃の覇権を争っていたときに、武田と争っていた駿河の今川氏真(うじざね)が武田氏が支配する土地への塩の供給を断つという戦略をとりました。
「義」の人である景虎(謙信)はこれに義憤を感じ、越後から信濃へ塩を送り、その塩が松本に着いた日を記念して「塩市」が始まったと言い伝えられています。敵に塩を送るという故事成語の元になったお話ですね。このとき塩を運んできた牛を繫いだ石が牛つなぎ石であるといわれ、現在でも本町と伊勢町の交差点に残されています。
昔は1月11日があめ市の日だったといいますから、塩が松本に着いた日は1月11日だったのでしょうか。
(信州松本ぺんぎん堂ブログ「松本の”あめ市”の飴」より)
歴史ある伝統行事なのですね。
ところで。
松本地方では、三九郎と言う、多分通常「どんど焼き」と呼ばれる
新年に松飾や書初めなどをやぐらを組んで燃やす行事がありますが
その時に、前年の新年に買っただるまも一年間の感謝を込めて燃やすのです。
だから、飴と一緒にだるまさんもあちこちで売られているのですよ。
歩行者天国だった昨日は、大勢の人で賑わい、歩くのも一苦労でした。
でも、3年ぶりの賑わいは活気付いていて、心も踊る雰囲気でした。
新ばしあめの飴は、伝統的な製法で作られた自然な甘さの飴です。
もち米から作るんですよ。
今回残念だったのは、飯田屋さんの飴せんべいに遭遇できなかったことです。
このあめせんべいは、本当にサクサクで不思議な食感なんです。
一袋をあっという間に食べてしまいそう。
ぜひ、飯田屋さんまで買いに行こうと決意を新たにしております。
最後に、以前のご店主さまのブログからの引用を。
松本は乾燥した気候が飴作りに適していることから、たくさんの飴屋さんがあったようです。
明治時代には20軒以上もの飴屋さんがあり、飴の生産量日本一を誇った時期もあったそうです。いまも江戸時代から続く老舗の飴屋さんが残っています。数年前にあめ市に行ったときに屋台で飴を売っていた飴屋さんが「乾燥して寒い気候じゃないと昔ながらの飴は作れないんですよ。一番いい飴が作れるのは冬なんです」と仰っていました。
現在も松本に残る老舗飴店は下記の3軒です。
- 新橋屋飴店 創業から150年以上(嘉永年間)
- 飯田屋飴店 飴作りは寛政8年(1796年)から
- 山屋御飴所 寛文12年(1672年)創業
山屋さんはおよそ350年もの歴史があります。日本橋に松坂屋さんが開店したのと同じ年です。第4代将軍・徳川家綱の時代です。あと8年ほどで綱吉が将軍になります。
新橋屋さんの創業者と飯田屋さんの創業者は武士だったとのこと。
私が興味深いと思ったのが飯田屋さんの歴史です。飯田屋さんのサイトによると松本藩第6代藩主・水野忠恒が結婚を報告するため江戸城に時の征夷大将軍・徳川吉宗を訪ねた折、松の廊下ですれ違った毛利師就に対して刃傷沙汰を起こしてしまいました。武士として忠恒に仕えていた初代店主・伊藤伊佐治も一般庶民に格下げされてしまい、米を扱う仕事を始めたとのこと。当時米は飴の原料だったためその後、試行錯誤の末飴屋を開業したのだとか。松本の老舗の歴史は松本城の殿様と共にあったんですね。
350年~150年も前から、代々受け継がれてきた飴。
ぜひ皆さま、松本にお立ち寄りの際は、お買い求めください。
松本駅や、お土産屋さんで、巡り合うことが出来るかも知れません。
蒼月記