こんばんは、茶々丸です。
みなさん、昨日NHKの「ブラタモリ 諏訪〜なぜ人々は諏訪を目指すのか?〜」をご覧になりましたか?
私は縄文時代や星糞峠を取り上げられてもらってとても嬉しかったです(≧∀≦)
やはり諏訪と言えば諏訪大社、そして縄文時代ですよね。ブラタモリでも諏訪大社上社前宮からスタートし、縄文時代に関東の縄文人たちがこぞって諏訪を目指した謎を解き明かしていました。縄文のことを取り上げてくれるのはさすがブラタモリ。
番組によると縄文海進により内陸部へ住居を移さざるを得なかった縄文人たちは富士山から一直線に伸びる谷筋を通って諏訪を目指したとのこと。
ということはもしかしたら八ヶ岳周辺の人々のDNAは早いうちから関東の人々のDNAと融合していたのかな、なんて考えてしまいましたよ。
それにしても、諏訪湖のほとりから大きな富士山を見ることができるとは、ブラタモリで初めて知りました。
さてさて、関東から大勢の縄文人たちがやって来た諏訪では彼らの生活に欠かせないあるものが採れました。それが採れたのは星糞峠。星の糞とはお上品な名前ですが、それだけゴロゴロあるということです。その星糞とは一体何かといいますと、何と黒曜石なのです。
ブラタモリでは諏訪として紹介されていましたが星糞峠があるのは小県郡長和町。まあ、霧ヶ峰高原の一角にある諏訪エリアですな。地元ではキラキラ輝く星の欠片が降り積もっていると言い伝えられてきたそうです。「まんず、あの山には黒く光る綺麗な石が糞ほどあるだに」というところでしょうか。
私はこの長和町にある黒曜石体験ミュージアムに行きたくて行きたくてしょうがありません。
展示物を見学するのはもちろん、ミュージアムショップで黒曜石の手作りグッズを購入したいのだ。えへへ。ところが昨今のコロナ騒ぎでなかなか行くことができず、ついついAmazonで黒曜石をポチってしまいましたよ。
これはもちろんこの真っ黒な黒曜石は星糞峠産ではなくって。昨日のブラタモリでも紹介していましたが、何といっても、星糞峠の黒曜石は透明なのです!
いつか手にしたい星糞峠の透明な黒曜石。
上質かつ美しい星糞峠の黒曜石。
硝子のような黒曜石に宿る日の光。星の欠片が太陽の光で輝くなんて浪漫があります。縄文人たちも矢じりにしただけではなくアクセサリーにもしたのかな?それとも、日常の道具に美しいものを取り入れる「粋」を縄文人たちも持っていたのかもしれません。
この日本中のどの産地のものより美しい黒曜石は奈良県や青森県、北海道にまで流通していました。黒曜石が採れる場所の遺跡からさえも信州の黒曜石が見つかっているのです。
縄文時代には流行の中心地(?)だったこの星糞峠ですが、実は長い間謎のベールに包まれていました。縄文人たちがどのくらいまでこの場所で黒曜石の採掘をしていたのか私にはわかりませんが、江戸時代には鷹を保護するために一般人の立ち入りを禁じた幕府直轄の御巣鷹山(群馬県の山ではない)として保護され、明治時代には国有林として自由な立ち入りを禁じられ、一般の立ち入りが可能となったのは戦後のことだそうです。
そして、遺跡として調査されたのは1984年からのようで、意外と最近のことです。発見された採掘抗は何と195基にも及ぶのだとか。一体どれだけ採れたんだ。星糞峠の鉱山から採掘された黒曜石はその場で加工されたり、原石のまま持ち出されて流通され、多くはナイフに加工されていたといいます。採掘抗の周辺には縄文人たちが加工した黒曜石の欠片がたくさん散らばっているそうですが、タモリさんが手にしていた黒曜石も、きっと我々のご先祖様たちが石を削った欠片だったのでしょう。星の糞だけにまさにスターダストですね。
長野県史考古資料編遺跡地名表には12,665箇所の遺跡が記載されていて、そのうち縄文時代が7,970箇所あるそうです。特に諏訪エリアには縄文時代中期の遺跡が集中しており、ネット記事の中にはその数3,000件以上にも及ぶと書いてあるものもありました。なんだか諏訪のどこを工事をしても必ず遺跡が出て来そう(汗)。
私も当ブログでちょくちょく縄文時代や諏訪について書くほど縄文時代も諏訪も大好きです。
過去にもいろいろ書いているのでよかったら読んでみてください。
shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com
ブラタモリでも紹介していた諏訪湖の成り立ちはsuwazine02号に詳しいです。
shinsyu-matsumoto-pengin-dou.hatenablog.com
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本日も最後までお読みいただきありがとうございました!