信州松本ぺんぎん堂

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ヤマザキ「牛乳入りパン」を食べてみた

ご無沙汰しております、茶々丸です。

早いものでもう5月も終わろうとしていますが、みなさまお元気にしていらっしゃいましたか?

 

さて、今回は当ブログで度々ご紹介してきた信州のご当地パン「牛乳パン」についてのお話です。すっかりシリーズ化してきてしまいましたが、今回は信州で作られていない、大手メーカーが製造した「牛乳入りパン」のお話です。よろしかったらぜひ最後までお読みくださいね(^^)

 

 

 

あの”春のパンまつり”メーカーの「牛乳入りパン」

松本市出身のわたくしはこれまでの人生、小松パンの牛乳パンしか食べたことがなかったのですが、今年に入ってから生まれて初めて長野県内のいろいろなパン屋さんの牛乳パンを食べることができました。それもこれも信州各地から牛乳パンを取り寄せている銀座NAGANOさんのおかげなんですけどね。信州の様々なパン屋さんの牛乳パンを味わったことで、一口に牛乳パンと言ってもお店によって結構味も形も違うのだということがわかりました。

 

そんなこともあって、先日ついにあの大手製パンメーカーヤマザキ「牛乳入りパン」も食べてみる気になったのです。

昨年(だったかな?)近所のスーパーで見かけたときには「どうせまねっこずらでそれほどでもねえずら」的なちょっと意地っ張りな気持ちになってしまい手に取らなかったのですが、長野県内の牛乳パンもお店によってそれぞれ味が違うのだということを身をもって体験したことにより私の中にあった「牛乳パンに県外からの参戦は認めない」的な頑なな気持ちが氷解し、ついに「ここは素直にヤマザキの『牛乳入りパン』も食べてみるか」という気持ちになったのです。

袋に「生地中に八ヶ岳高原牛乳使用」と書いてあります。使用している牛乳は長野県産かもしれませんね。

このパン、持ってみると袋の上からでもふかふかさ加減が伝わってきます。その手触りだけで「お、本場の牛乳パンに近いかも?」なんて思ってしまいました。

こんがりとした焼き目、四角い形。間にはさまれたクリーム。見た目は完全に牛乳パンです。やわらかさとしっとりさでお皿のくぼみに沿ってパンがたわんでいるのがわかりますでしょうか。ふっくら、しっとりでいい感じです。

私は小松の牛乳パン育ちなのでサンドされているクリームの量が少なく感じますが、それは駒ヶ根の「すずらんハウス」さんも佐久市の「モンドウル田村屋」さんも少なめだったのでよしとしておきましょう。

で、肝心のお味ですが…………

うーーーーん、参りました!!!!

これは牛乳パンを名乗ってもいいんじゃないでしょうかね。しっとりふかふかの生地、マーガリンの効いたクリーム。これはどちらも牛乳パンです。先ほどクリームの量が少ないと書きましたが、この量で丁度よいくらいでした。さすが、毎年春に全国の奥様を熱狂させる大規模なお祭りを開催する会社だけのことはあります。ちなみにうちの母もこのお祭りに毎年参加して白いお皿をたくさん集めていましたよ。

信州を離れてなかなか牛乳パンを食べられないみなさん、この「牛乳入りパン」ならばノスタルジーに浸ることができますよ、たぶん。

次はパスコさんの「信州発牛乳パン」を試食してみないとな〜。こっちは全然見かけなくなってしまったのだけど。

あっ!

ちなみにこの「牛乳入りパン」、カロリーは502Kcalでしたっ。毎度のことですが茶々丸は朝この502Kcalをぺろっと平らげてしまったわけですが……(汗)。ま、まあ、菓子パンなんてどれもカロリーはこんなもんか。

 

牛乳パンの歴史

そうそう、「牛乳入りパン」の袋に「生地中に八ヶ岳高原牛乳使用」と書いてあったのが茶々丸は個人的にどうも気になりまして。というのもパン作りをしないので「そうなの?パン生地って牛乳使うんじゃないの?」と不思議に思ってしまったのです。そうすると思考はどんどん進んでいって「それとも八ヶ岳高原牛乳だから信州ですよという特別感を出したの?っていうかそもそもどうして牛乳パンっていうの?中にたっぷり生クリームが入っているから牛乳パンっていうのかと思っていたんだけど」とそもそも「牛乳パン」のネーミング自体が気になり始めました。

そこで「牛乳パン 歴史」と検索して見ると駒ヶ根市のサイトが上がってきました。私は知らなかったのですが、駒ヶ根市が牛乳パン発祥の地といわれ、同市では平成30年6月に「牛乳パンの生みのまち」宣言をしていたのだそうです。そしてそんな駒ヶ根市のサイトに書かれていたのは驚愕の事実。それは、開発当初、「牛乳パン」というネーミングにもかかわらず牛乳は入っていなかったという驚きの証言でした。

牛乳パンの詳しい歴史については駒ヶ根市のサイトをお読みいただきたいのですが、ざっくりまとめてみると以下のようになります。

 

  • 駒ヶ根市在住の中坪兼吉さん(87歳 令和3年現在)は昭和30〜32年頃、当時伊那市で操業していた「若増製パン」に勤務していた。
  • 朝5時頃、年配の女性がパンを買いに来た。早朝だったため一度は断ったが、どんなパンでもいいというのでパン粉にしようと思っていたパンにジャムを塗って渡した。
  • 女性はまた翌日も来た。今度は菓子用のバタークリームを挟んで渡した。これが牛乳パンの始まりである(※諸説あり)。
  • 女性はその翌日もやって来た。どうやら美和ダム建設現場の賄い作りをしている人だったようで毎日訪れるようになった。
  • それを見ていた若増製パンの社長が「これは売れるかもしれない」とひらめき商品化。
  • クリームに牛乳は入れていなかったが、当時の食糧事情から栄養価の高い「牛乳」の名を商品名とした牛乳パンは大ヒット!最盛期には1日1,000個以上焼いても追いつかず寝る間もないほどだった。
  • 実際に牛乳を使用するようになったのは売れるようになった翌年以降。

 

なるほど〜。戦後、まだまだ食料が足りなかった時代に誕生した牛乳パンが高度成長期とともに飛ぶように売れていったという時代背景がわかると、牛乳パンが以前にもまして愛おしく感じられませんか?

www.city.komagane.nagano.jp

 

 

ということで、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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